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乳がんになった時のこと 17

「待つ時間は長くて辛い」

入院中は全然しんどくないし、痛くもなかった。現代医学ってすごいなと感心していたが、退院して家に帰った途端。自分の布団で寝るようになったら、急に体がだるくなり、傷跡が痛くなってきた。しょうがなく毎日のように痛み止めを飲む日々だった。そして、入院していた時は単に興奮状態でアドレナリンが出まくりで元気だっただけ、という事に気づいた。

人間だから歩くときに腕をふる。そうすると、脇の傷が内側からシクシクと痛んだ。耐えられないので左手で脇の傷を押さえて、右手を上げたまま歩く。ちょうど先生に当てられた生徒みたいな感じ。すると息子が「お母さん道で手をあげて歩いてたらタクシー止まっちゃうからやめてよ!」と笑った。
パソコンも長時間打てなかった。30分も文章を打っていると、指先が痺れて耐えられなくなった。早く仕事に復帰したかったが、これでは到底無理だと思った。思考の方も衰えて相変わらず本も読めないし、映画も見れなかった。ただただ、ごろごろと布団の上で転がるか編み物をするしかなかった。

とはいえ、子どもたちの小さな用事(保育所まで送る、散髪に連れて行く、宿題の手伝い、公園に遊びに行くなど)は毎日ある。そんなちょっとしたことでも3人分の用事をすると、腕は痛くて体力もなくヘロヘロだった。ご飯は母が作ってくれるので、それだけは本当に助かった。これがヘルプが出せない普通の主婦ならば、もっとしんどいんだろうなと思った。

1週間後に傷跡を止めていたテープを外しに、病院に行った。処置室で、先生がチラッと胸の傷をみて「綺麗になってますね〜」とテープを外してくれた。確かにちょっと見た目にはどこを切ったのかわからなかった。脇の傷は触ると紐の先っぽのようなものがちょっとだけ指に触れる。内側に傷を縫ってくれているのだけど、その糸がちょっとだけ出てきているようだった。そのうち溶けてなくなる、と言われた。シワシワだった胸も、背中の肉が前にきているからか、はたまた左の乳房からちょっとずつ肉が移動してきているのか復活しつつあった。
「腕が痛かったり、痺れたりするんですが」と相談すると、「うーん、傷跡自体には問題ないんで、後は時間の問題ですね」と軽くいなされた。

がん細胞の病理検査の結果まであと2週間必要だった。その結果が出たら、その後の治療方針が決まる。抗がん剤をやるかどうか決まる。今でも腕の痛みでパソコンを打つ事ができずに仕事ができないのに、抗がん剤を始めたら復帰までもっと時間がかかってしまうだろう。不安で落ち着かなかった。この「検査の結果待ち」という時間は、がんの治療の中でも辛い事の一つだと思う。これから先どうなってしまうのか、とオロオロしながら日々を過ごす。その不安な気持ちは私の場合、決して家族に打ち明けられなかった。そして暇に任せてネットで乳がんの情報を調べて落ち込んだり、Twitterで励まされたり涙を流したりする。そんな事を繰り返した。

そして2週間後。結果を聞きに行く日になった。
名前を呼ばれて診察室に入り、勧められて椅子に座る。
座る時、先生のデスクの前のパソコン画面がチラッと目に入った。
その画面に見えた文字はgrade3 だった。
「グレード3…」めまいがした。

乳がん治療にはステージ(進行度)と同じようにグレードというものも重要視される。グレードとはその乳がんの性質で1〜3の数字で判定され、数字が大きいほど性質が悪い。転移しやすいがんだという事を表す。それが一番最初に目に飛び込んできた。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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