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乳がんになった時のこと 15

「手術の日」

次の日の朝は忙しかった。手術室には8時半に行くことになっていた。前日、看護師さんは両親に8時過ぎには病室にいてくださいと説明をした。でも子ども達の送り出しがあるのでそんなに早く来れない。私は「いや、別に両親に来てもらわなくても大丈夫ですが」と言うと、看護師さんは「そういうわけには…」と困った。死ぬ可能性は低いとはいえ、手術は手術なのだ、やっぱり見送りは必要らしかった。結局子ども達は少し早めに学校や保育所に行くことにして、時間に間に合うように来てくれた。

手術室に向かう時、ドラマだったらベッドに寝かされたまま行くので私もそのイメージだったが、意外に普通に歩いて行くスタイルだった。そりゃ今は元気だから当たり前なんだけど、なんかイメージと違うとは思った。手術室の前まで両親は見送ってくれて、自動ドアの手前で何か言わなきゃいけないな、と思ったけど何も思いつかなかったので、閉まるときに「じゃあね〜」と言った。そんなに深刻になりたくなかった。

自動扉の向こうは別世界だった。それまでは朝も早いので、私たちしか歩いている人がいないシンとした病院だった。一歩中に入ると、30人ぐらいが忙しく働いていて、レストランの厨房みたいだった。大きな病院なので手術室はいくつもあり、その手前の待合スペースには9時から手術の患者さんが、パッと見た感じで5〜6人が順番に座らされた。たくさんの看護師さんが忙しく動き回って、ざわざわしていた。私も指示された場所に座った。隣には60歳ぐらいの女性が座っていたので、何か話しかけた方がいいのかな、と思ったけど「私乳がんなんです。あなたは?」と話しかけるのも意味不明だなと黙って座っていた。

3分も待たない間に名前を呼ばて手術室に呼ばれ、部屋に入るときにもう一度名前を聞かれた。ベッドに横になるように指示されて仰向けに寝ると、見えるのは何に使うのかわからない機械や、金属の手術道具、あとは白色と緑色の世界だった。頭の上の方で看護婦さんが動き回っているのを感じた。先生が2人入ってきた。目の部分しか出てないが、主治医の先生の顔が見えて少しほっとした。そしてまた名前を聞かれた。とにかく名前は確認し続けるんやな、と思った。

麻酔の先生が「じゃあ今から、麻酔をかけますね」と言い、口にマスクをあてられた。「気持ち悪いですか?」と聞かれた。変な匂いがしたが「気持ち悪くはないです」と答えた。その後は記憶がない。

「あっつ。なんか息苦しいな」と目を開けたら、病室に戻っていた。

父が座っているのが見えた。窓から直射日光が当たって眩しかった。「あ、目が覚めたね。手術終わったよ!」と母の声がして看護師さんを呼んだようだった。自分の状態を確認したら、右腕と体がしばられて動かないようになっており、酸素吸入のマスクが顔につけられていて邪魔だった。左手に点滴がされている。足元に電気毛布が入れてれていて、どうやらこれが暑い原因だった。
「今何時?」と父に聞くと「12時過ぎ」と返ってきた。3時間、思ったより早かった。中学生の時の扁桃腺の手術はもっと長く、さらに目が覚めたときは痛かったしおまけに熱も出ていた。今回は痛み止めがよく効いてるのか、痛くなかったし体のしんどさもそれほどだった。でもまだ朦朧とはしていた。そして息苦しかった。看護師さんに酸素のマスクを取っていいですか?と言うと「これはまだもうちょっと取れないんで、我慢してくださいね」と言われた。父にまぶしいからブラインドを下げてほしいと伝えて、また眠ってしまった。

次に目が覚めたのは30分後ぐらいだった。今度はもう少しはっきりとしていた。母に水が飲みたいと言ったら、あと1時間はだめだって、と言われた。看護師さんが見回りに来たときにまたしつこく酸素マスクとってほしいとお願いしたら、今度は取ってくれた。
「先生が取り出したがん見せてくれたけど、きれいな色してたわ」と母が鮮度の良い刺身みたいに言った。「どれぐらいの大きさだったの?」と聞くと「これぐらい」と指でサイズを示した「10センチぐらいだった」

ずっと寝ていたせいで腰が痛かった。体の位置を入れ替えようと思って動くと、看護師さんに今日1日はなるべく体は動かさないようにと注意された。腰にクッションを入れると痛みが軽減するからとクッションを持ってきてくれた。
先生が様子を回診にきて、リンパ節転移はなかったと教えてくれた。金曜日か土曜日には退院できると言ってくれて、ほっとした。

テレビではワイドショーでは大相撲で日馬富士の暴行事件を起こした話を繰り返し報道していた。テレビをずっと見続けるのもしんどくて消した。その日は眠るか、腰が痛いので右腕を動かさないように体の位置を入れ替えるかクッションの位置を動かすという作業のみで1日終わった。早く立ち上がりたかった。火曜10時の宮藤官九郎脚本の連ドラをいつもは見ていたがさすがにその日は気力はなかった。痛み止めを使って寝るだけだった。

次の日朝、点滴を外してもらって立ち上がった時、一瞬フラッとはしたが、体がスッキリするのを感じた。腰の痛みがみるみるなくなった。
「人間は二本足で立つように設計されているんだな」と思った。
そして、猛烈にお腹が空いている事に気づいた。


#乳がん #健康 #シングルマザー

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