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乳がんになった時のこと 19

「雪山で白うさぎを探すようなもの」

12月だった。病院の外の庭にはクリスマスツリーが飾られて、小さいけれどイルミネーションもあった。それを見ると心が和んだ。

放射線科はがんセンターの中にあった。
そこは後から建設されたのか入り口が複雑で、中央検査室の前の廊下を通って行く。たくさんの人が検査待ちでソファーで座ってる前を通らなくてはいけない。みんな「あの人、がんなのかしら」と思うんやろな…と前を歩いた。自意識過剰だと今は思うが、その時は「がん」という文字の入った建物に何かしらのハードルは感じた。

診察を受ける事になっていたが、放射線治療とはいまいち何をするのかはわかっていなかった。診察室に入ると、50代半ばの男性の先生が座っていた。今回の乳がんの治療であまり男性の医師に当たらなかったので意外な気がした。
「へー。テレビの作家さん?変わったお仕事してるんですね!かっこいいですね」と明るい口調で言う割とポップな楽しい感じの先生だった。
「かなり地味な仕事ですよ。お医者さんの方がかっこいいんじゃないですかね?」「いや全然でしょ。『絶対失敗しない外科医』とかだったらいいですけど、放射線腫瘍科って聞いても普通の人は意味わからないからね〜」と笑った後、「じゃあがんの説明から入ります。」と本題に入った。

私のがんがどんな形で発生したのか、手術の方法や、私のがんのタイプなどをレントゲンやエコーを見せてくれ、学術書を開いて、本当に事細かく1時間ほどかけて丁寧に説明してくれた。本を読んで知っている事もあったが、それはあくまで一般論に過ぎず、自分の乳がんの説明となると知らなかったことも多かった。

マンモグラフィーの写真を見せられ「これ見てください。乳房が真っ白でしょう?」「はい」「ガンも白く写るんですよ」「え…わかりずらくないですか?」「そうなんですよ!」授業で質問をした生徒に答えるみたいに嬉しそうに言った。「これは、『雪山で白うさぎを見つける』っていうんですよ。年齢が若い人に多い高濃度乳房というタイプで、こういうタイプの人はマンモグラフィーをしても見つかりにくいから、がんの発見にはエコーの併用が不可欠なんです」乳がんの検査といえばマンモグラフィーだと思いこんでいた私には新しい知識だった。

「それと…、もっと早く気づいてたでしょ?この部位だったら」と図星をさされた。「はあ…実は半年ぐらい前には」と答えるとまた目を輝かせた「でしょ?!なんで早く病院こないの!」まさかめんどくさかったとは言えなかったので「あとちょっとで40歳になるんです。そしたら無料の乳がん検診のクーポン券もらえるから、そこまで待とうと思ってたんですよね。」と言い訳をした。「いやいや〜あと半年もほっといたら、危なかったよ!見つけてくれたお医者さんに感謝しないと!」と言われた。「グレード3が気にはなるけど、主治医が抗がん剤なしって言ってるんだから、まあいいとしましょう。その代わり、放射線治療をちゃんとして、ホルモン剤をきっちり飲んでくださいね」とまた同じ事を言われ、放射線治療を25回する事を言い渡された。

途中で看護師さんが「ここに来るまで説明が少なかったんじゃないですか?年配の患者さんは特に先生の説明でようやく自分のがんの事がわかったっておっしゃるんですよ。」と言った。確かにそうだった。その時放射線腫瘍内科というのは、がん患者にがん治療の説明をしてくれる先生なんだと初めて知った。

そのあと放射線の照射位置を正確にするために、上半身に細かくマジックで線を書かれた。書くとは聞いていたが、こんなにたくさん書く?というぐらい、赤や黒のペンを使って実線や点線で書かれた。夏じゃなくて良かった。Tシャツ1枚だったら透けて見えて見えてしまう。技師さんに「消えにくいペンですけど、お風呂に入ったら消えることもあるんです。その時は言ってください。勝手に自分で書き足さないように」と注意を受けた。

風呂に入るとき、私の姿を見た長女が「小学校の体育館の床みたい」と言った。確かに小学校の体育館って、いろんな色でコートの線が描かれてるなぁと長女の想像力に感心した。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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