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乳がんになった時のこと 21

「誰かになにかを伝えたいけど、なんと言っていいかわからない」

日に日に右のおっぱいは赤いと言うより黒く焼け焦げてきて、やけどみたいな状態になっていった。治療の中盤ぐらいから軟膏を処方されていたので、服でこすれて痛い箇所に塗った。口内炎も口の中に4つぐらいでき、ご飯が食べにくくなっていた。こっちにも軟膏を塗るようにと薬をもらった。倦怠感が強くて眠ってばかりだった。ネットを見ても、放射線治療ごときでこんなに大騒ぎしてる人はおらず、ほとんどの人が放射線治療をしながら仕事に行ってるのにと自分が情けなかった。

それでも仕事をするためにパソコンを開いていると、少し気分は紛れた。文字をうっていると相変わらず指先はしびれてくるし、以前より集中できる時間が短くて文章を作るのに時間がかかったが、一瞬でも忘れられた。

その冬はインフルエンザが流行っていて、子どもたちの小学校も12クラス中7クラスが学級閉鎖になるという状況だった。例年より寒く、毎朝9時に家を出て病院に向かうときも帽子、マスク、マフラー、手ぶくろと完全装備だった。

病院まで1時間音楽を聴きながら、通っている時にはいろんな事を考えた。やっぱり抗がん剤をしたほうがよかったんだろうかとか、集中力と思考力が前より落ちてるけど、治療が終わればまた元通り仕事できるようになるんだろうか、とか、子どもの学校のPTAの当番が回ってくるけど、こんな体力でできるんだろうか、とか。そういう考えてもしょうがない事をグズグズと悩み続けた。spotifyでクリープハイプとかポルカドットスティングレーとか、アップテンポのJ-Popを聴きながら、そんな陰気な事をずーっと考えていた。

Twitterで同じ病院に通う人を見つけた。ほぼ同じ病状の人だった。通常私は道で知り合いに会っても声をかけられないぐらいのまあまあの人見知りで、基本的にネット上でも知らない人に声をかけたりしない。でもなぜか、その時「同じ病院に通っています!」と声をかけてしまった。その相手の人は幸いとても丁寧な人で、その後も交流をしている。多分あの時、私は誰かに話を聞いてもらいたかっただろうと思う。

そしてついに放射線治療の最終日が来た。25日目。
いつもと同じように上半身裸でがらーんとした照射ルームに寝転がり、いつもと同じように技師さんが位置を合わせて、いつもと同じように1分間放射線を浴び、終わった。ウワサでは、お疲れ様でしたとかねぎらいの言葉を言ってくれる看護婦さんもいると聞いていたが、私の時は特に何もなかった。唯一、会計のお姉さんが少しだけニコッとしてくれた(ような気がする)

放射線が終わってからしばらく、肋骨が押し込まれるみたいに痛かった。手術跡も冷えると痛かったりしびれたりすることが多く、しょっちゅう痛み止めを飲んでいた。こんなにに毎日痛み止め飲んで大丈夫なのか、と不安だった。

暖かくなれば、少しは痛みも軽減するんじゃないかと思った。早く春になってほしい。春になったら全部治るような気がした。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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