見出し画像

乳がんになった時のこと 10

「とりあえず我が身の不幸を嘆く」

家に帰ると母への説明が待っていた。これも気が重いタスクの一つだった。
数日前からじわりじわりと外堀を埋めつつあった。例えがんだったとしてもサイズは小さいから手術で摘出さえしたら大丈夫。5年生存率は90%を超えるってデータもあるから大丈夫。女性の10人に1人はかかるって言われれるがん出し、症例も多いから研究も進んでるから大丈夫。とりあえず安心材料だと思そうなことは全部言っておいた。ただその時は「まだがんって決まったわけじゃないからね」という前フリがあった。

家に着いたら夜の8時だった。
「ただいま」と玄関を開けたら、すぐ「どうだった?」と母が出てきた。
「がんだったわ〜。」とつとめて普通のテンションで言うと、母は悲しそうな顔をして「やっぱり」と言った。

私は小さい時からあまり体が丈夫ではなかった。すぐ熱を出したりお腹をこわしたりして、学校をよく休んだ。母は私をしょっちゅう病院に連れていった。ただこれはシンプルに体が弱いだけでなく、学校に行くのが嫌で体調を崩しているというメンタル的な面もあったように思う。しかし母は相当心配したらしく、「うちの食事が悪いから、体調が悪くなるのだ」といいだし、健康食品のグループに入って超高価なサプリメントを買って私に飲ませたりしていた。母は、私が体が弱いのは自分に原因があると思っていた。そんなわけないのに。

手術の日が大まかに決まっている事を伝えて、セカンドオピニオンを聞きに行くのもありだけど、それを待っていたらどんどん手術の日が遅くなりそうだから、そこの病院で手術してもらうことを説明した。

母はちょっとだけ涙を流した。
「どうして娘が2人もがんになるんやろ」と言った。
私は答えられなかった、でも
「大丈夫やって〜、ちゃんと治療してお姉ちゃんも治ってるんやから」
「私のはごく早期だから、お姉ちゃんよりもっと楽に治療できるはずよ」
と言って励ました。

後は母の愚痴を聞く事しかできなかった。母はがんになった原因を探して、あれのせいじゃないのか、これのせいじゃないのかと色々聞いてきた。仕事を頑張り過ぎてるんじゃないのか、喫煙者と一緒に会議をしているからじゃないのか、結婚していた時に無理をし過ぎたせいじゃないのか、花粉症の薬を飲んでいるからじゃないのかとか、本当にあらゆることを言った。私の作っているご飯が悪いんじゃないのか、とも言った。どれもあってるような気もするし、全く違うような気もした。とにかく母は話すことで不安を解消する人なので、思ってること全部しゃべらせた。

これぐらいしか私にはできなかった。次の検査の時には一緒に行くと言い、そうしないと納得しないだろうなと思ったので、そうしようと言った。

長い1日だった。布団に入ると、頭の中に思考がぐるぐると巡っていた。
そして、なんで私ががんにならなきゃいかんのだと情けない気持ちになった。
離婚して、友人たちの尽力でなんとか前の仕事に戻って。1年もすると仕事が本当に楽しくて「あー、本当にひどい目にあったけど、きっと神様が大好きな仕事を頑張るように仕向けてくれたんだ」と思っていたのにこれとは。神様ドSにもほどがあるわと思った。

「シングルマザー」「子ども3人」「がん」、麻雀だったら役満やなと思った。


#乳がん #健康 #シングルマザー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?