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乳がんになった時のこと 22

「がんになって失ったもの、得たもの」

春になってすぐ元気になったかというと、残念ながらそんなことはなかった。

胸の放射線焼けは照射が終わって1〜2週間をピークにきれいになっていったが、問題はホルモン療法の薬、タモキシフェンだった。それこそ、この治療方法はしんどくないと言われていたはずだったが、そう甘くはなかった。

夜中に突然暑くなりドバっと汗をかいて起きると言うことが4〜5回あった。この薬を飲むと更年期障害のような事が起きるとは言われていた。おそらくこの大汗はホットフラッシュと言われる症状だった。ちゃんと汗をふいて寝ればいいんだけど、眠いのでそのまま寝てしまって、今度は汗が冷えてしまって「寒っ」っとなって起きたりした。

それぐらいならまだ我慢できたが、私が辛かったのは頭痛だった。毎日毎日頭を締めつけられるような頭痛に襲われ、さっぱり仕事に集中できなくなってしまった。パソコンを前に一文も作れずに「仕事ができなくなった!」と泣き出す事すらあった。ロキソニンなんかの痛み止めを飲んだりはしていたが、あまり効かなかった。

そして不眠の症状も出始めた。寝られるのは夜の1時から3時ぐらいの間で、あとはずーっと布団の中でゴロゴロする。夜明けに30分ほど寝られたらいい方だった。乳がんの告知から手術まで精神的な辛さはあったものの、あまり実際の苦みや苦痛を感じなかった。しかしここになって相当辛くなってきた。何より困ったのが仕事ができないことだった。こんなことならもう薬をやめたいと思い、乳腺外科の検診の際に強く訴えた。先生はとても困った顔をした。

「夜寝られないですし、頭が痛くて耐えられないです。タモキシフェンを一時止めたりできないですか」
「うーん、タモキシフェンは頭痛はそんなに出ないと思うんですが…。一度心療内科に行ってみましょう。」

心療内科?なんで?と思ったが、さすが総合病院で、乳腺外科の先生の手配から30分後に私は心療内科の診察室にいた。初老の男性の先生で、人の話を聞いているのかいないのかわからないようなふわっとした印象の先生だった。
「頭が痛いです。締め付けられるように」
「夜は寝れてない?」
「2、3時間ぐらいしかまとめて寝れないです」
「そうか〜。パソコンで仕事してるの?」
「してます。ただ頭が痛くて仕事できないんです!」
かなり強めに真剣に訴えた。この先生に説明したところで、何が変わるのかと思ったが、言わずにおれなかった。すると「まあでも人間が寝る理由って学術的に説明できないんだよねー」と呑気な口調で『睡眠』について大学の講義のような話をダラダラとし始めた。私は「はい、はい、」と相槌をうってはいたが、その話が何を意味してるのかがよくわからなかった。

そしていきなり本題に入った。
「多分あなたの頭痛はタモキシフェン のせいというよりは過緊張です」
「過緊張?いや、そんなに緊張するようなことはしてないですけど。」
「いや、緊張されてると思います。人間の首ってめちゃくちゃ重い頭を支えてるわけですからね、パソコンで仕事されてる方にはよくある事です」
「でも以前はこんなことなかったんです!」
先生はあまりこっちを見ないで話を続けた。
「おそらくあなたはがんになる前と同じように仕事をして、休んだ分の遅れを早く取り戻したいと頑張っておられます。でも体力はまだまだ以前と同じには戻ってないんです。結果が出ないことで気持ちは焦って、さらに体に負荷をかけて無理して仕事をしてしまう」「がんの治療中の患者さんにはこういう症状が出る方は多いです」「夜9時以降はパソコンを触らないように」と注意をされて、緊張を取り除く薬と睡眠薬が処方された。

先生の話には半信半疑だったが、とりあえず薬を飲むしかなかった。仕事の量をセーブして夜はパソコンを見ないようにした。薬を飲んで、きっちり眠った。すると2週間もすると1日中悩まされていた頭痛が徐々におさまっていった。タモキシフェン のせいだけじゃなかった。

そこでやっと自分が相当な無理をしていた事に気づいた。

私はシングルマザーなので、両親には心配かけないように、仕事も育児も人一倍努力して両立してうまくやっていかなければと思っていた。それはそれで素晴らしい事だけど、どこかにほころびが出ることもある。がんになって、日頃から自分をキャパシティギリギリまで追い詰めていた事に気がついた。そこまでやる必要は本当はなかったのだ。

がんになって失うものもあれば、得るものもあるな、と思った。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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