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乳がんになった時のこと 20

「しんどくないって言ってたのに」

放射線治療は25回。平日は毎日通う。土日は空けてもいいが、3日以上は空けられない。なので12月末から照射がスタートする私は、お正月の2日も1度照射に来るようにと言われた。インフルエンザなど感染症にかかったら、他の患者さんにうつる可能性があるから、必ず電話してくれとも言われた。

毎朝同じ時間に家を出て、電車とバスを乗り継いて病院に通う。私は朝10時10分に予約をしていたので、ほぼ出勤しているような気持ちで淡々と通った。

がんセンターに入って、診察券を出し、更衣室に入ってガウンに着替える。しばらく待っていると、看護師さんが呼びに来てくれて、照射ルームに入る。宇宙船の内部のような廊下を通り、大型の照射の機械がある部屋に入る。その部屋は必要以上に広くて天井も高かった。この機械しかないのにこんなにスペースいる?というぐらいの広さだったが、放射線を扱うから広さにも何かしらの規定があるのかなと思った。

がらんとした部屋のベッドに横になる。きっちり同じ場所になるように寝るポジションを決められている。技師さんが体の位置の微調整をしてくれ、機械の位置を決める。そして「動かないでくださいね」と念押しして部屋から出ていく。照射は遠隔操作で違う部屋からスイッチが押されてスタートする。技師さんが室内にいると被爆してしまうからだろうか。がらんとした広い部屋に上半身素っ裸であちこち線を引かれまくった人間が1人横たわり、じっとしている。状況が非日常すぎて笑えるなと思った。

照射時間はたったの1〜2分で、終わると技師さんが入ってきて、マジックの線が消えてないかチェックをして、帰っていいですよと言われる。がんセンターに入ってから20分もあれば全てが終わって帰れる。この後仕事に行く人も多いと聞いていた。放射線を当てた場所が日焼けをした感じで赤くなるぐらいで、他には体に変化は起きない、という説明を受けていた。本でも放射線治療で特にしんどくなるような事は書いてなかったから、体調の変化が出た時は最初は気のせいかなと思った。

照射が始まって3日ぐらい経ってから、洗濯物を干している時、なんだか車に酔った時のように気持ちが悪く、体が重くなった。次女の通う保育所で嘔吐下痢症が流行っていると聞いていたのでうつったのかもしれないと思い「嘔吐下痢症でもがんセンターに入ってもいいと思う?」と姉に聞いた。すると「それ放射線のせいじゃないの?」と返ってきた。放射線は体調に影響はないんじゃないの?と驚くと、「人によるけど、がん細胞殺すぐらいの事やってるのに、全くしんどくないわけないでしょ」という、考えれば当たり前の返事が返ってきた。

その1週間はずっとしんどくて常に小ゲロを吐きそうで、眠かった。ようやく土日の休みで元気を取り戻したものの、また照射を受けた次の月曜日には車酔い状態になる、というなんとも情けない状況だった。どうやら私は放射線治療がかなり体調に影響する人間だった。やっと慣れたかな、と思うと正月休みを挟んでリセットされてしまい、正月明けに開始してからまた気持ち悪くなった。

1週間に1度診察があった。担当してくれた20代の女性の先生はきれいな人で、とても親身になって話を聞いてくれるので、いつだって「大丈夫です」と言いがちなかっこつけの私でも気弱な事が言えた。「あの…体に影響はないって聞いてたんですけど、かなり気持ち悪いんです」すると先生は「私たちも放射線治療をしたことがないからわからないんですけど」と前置きしてから「人によってはとてもつらいと言われますし、吐き気止めが必要な方もおられます。しんどいと思ったらすぐに言ってください」と、薬を処方してくれた。その薬を飲むと途端に元気になった。もっと早く相談すればよかったと思った。

がんセンターの中には「緩和ケア」についてのポスターが貼ってあった。
私は「緩和ケア」とは、終末期のがんの患者さんの激痛を和らげる治療のことだと思っていたが、違っていた。がん治療の初期から倦怠感や痛み、吐き気を取り除いて、治療に前向きに取り組めるようにする事です、と書いてあった。
確かに私は緩和ケアを受けていた。

体験してみないと分からない事って世の中に本当に多いな、とポスターを見ながら思った。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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