【気まぐれエッセイ】大人の容姿は日記帳

大人になると、若い頃以上に、見た目に価値観が表れる。


まず分かれるのは、”諦めているかいないか”だ。次に、諦めていない派の中で分かれるのが、”年齢を受け入れた上で美を追求しているか””若さを保っているか(後者を非難しているるように聞こえたとしたらそれは誤解。無理している感なく、魅力的な大人の女性は最近ますます増えている)だろう。


そして中には、”本人は年齢を受け入れている派だと思っているけど、他人からは諦めている派に見える人””本人は若さを保っている派だと思っているけど、他人から見ると勘違いしている人”という3つ目のカテゴリーに入れられてしまう人もいる。この2タイプは、悲しいけれど多い。

大人になると、外見で中身がモロバレになるって、食事や睡眠、ライフスタイルの質が、肌や髪、表情や雰囲気に表れるのはもちろんだけど、それだけじゃない。”どうありたいと思っているのか? ” という価値観、人生観が、容姿にダイレクトに表れるのだ。

ファッションは名刺代わりとよく言うけれど、大人になるにつれてそんな可愛いものでは済まなくなる。年を重ねるごとに、容姿はまるで日記帳のようにその人の中身を赤裸々に映し出す。

年齢問わず、ファッションが中身を表すツールであるのは間違いないけれど、10代、20代の頃に分かれるのは、ガーリー系、クール系、ギャル系、清楚系という系統くらいのものだ。バレるのが怖いとすれば、センスの良し悪し。それだけだった。だからファッションもメイクも、30代の今のほうが、人に見せるのにわりと勇気がいる。ある意味スッピンよりも怖い。そしてスッピンそのものを見せるより、”スッピンという選択”を見せることのほうがずっと度胸を要する。

30代から先は、何を着るか、どんなメイクをするか(またはしないか)が、本当に自分自身を表していると自覚しておかなければならないと思うのだ。まあ、それを踏まえた上で、私はまだまだショートパンツを履くけどね(笑)。だってさ、今履かなきゃもう一生履けないからね(笑)。学生の頃、髪を染めるのを我慢するのとはわけが違うんだよ。「これから先いくらでも好きな髪色に出来るでしょ」はもう通用しない。31歳の私が履けなきゃ、51歳の私は絶対履けないんだから。


大人になると、怖いものが増えると同時に、人目を気にしている時間がもったいなくて、怖がっている暇なんてなくなるのも事実。そう、時間がないのだ。いくつからでも何だって始められると思っているし、焦る必要はないとも思っている。だけど、人目を気にして選択を変えている暇なんて、今の私には1秒たりとも残されていない。

多くの人が入れられがちな3つ目のカテゴリーに、私もどこかの誰かに入れられてしまうのかもしれないけれど、それでも私は、着たい服を着てやろうと思っている。それが人生観を表すことになると覚悟したうえで、私はまだまだショートパンツを履いてやろう。


たぶんその方が、60歳、70歳、80歳の私が、喜んでくれると思うんだ。


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