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「戦時の嘘」に描かれた戦争プロパガンダ③~新聞王ノースクリフの成功

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 第一次大戦期のイギリスで新聞が果たした役割を考えるには、一人の新聞経営者について紹介しておかなくてはならないだろう。近代的な新聞経営の先駆者の一人で、「新聞王」と呼ばれたノースクリフ卿ことアルフレッド・ハームズワース(1865~1922)である。

ノースクリフの「新聞革命」

 19世紀末ごろのイギリスでは、庶民の間の識字率が大きく向上していた(初等教育法が1870年)。一方、当時の新聞は難しく固い内容が多く、ハームズワースは「簡潔で面白いものを読みたがっている人たち」の持つ活字の需要をいち早く嗅ぎ取った。

 1896年、ハームズワースは日刊紙〈デイリー・メール〉を創刊した。派手な見出しと短く分かりやすい文章によって、同紙は大衆の幅広い支持を得た。当初女性向け新聞として発刊された〈デイリー・ミラー〉はうまくいかなかったが、当時は物珍しかった写真を多く掲載した日刊紙として1904年に再出発し、成功を収めた。

高級紙と大衆紙の両輪

 一方、彼は1903年に高級紙の〈タイムズ〉を買収している。労働者向けの夕刊タブロイド紙で利益を荒稼ぎし、インテリ向けの朝刊紙で政治的な立場を主張する(思想としては保守系であった)。彼が導入したこの新しい経営手法は「ノースクリフ革命」とも呼ばれる。ハームズワース系列の新聞は世論に大きな影響力を行使するに至った(小林2011、佐藤1998)。

 ハームズワースは事前活動にも熱心で、1905年にノースクリフ男爵に叙せられた。以後、よく知られた「ノースクリフ」の表記を使う。

第一次世界大戦とノースクリフ

 強い愛国心を備えていたノースクリフは、第一次大戦前からたびたびドイツの脅威を煽っていた。大戦が始まると、砲弾の準備不足が原因で英軍が敗退したとして、公然とアスキス内閣を批判した。この逸話から、「ノースクリフは単に金儲けが上手いだけの経営者だ」とは言えないことがわかる。国民の英雄であるキッチナー陸相を批判したため、〈デイリー・メール〉紙は部数を急減させたのである。

 ノースクリフによる激しい攻撃は、アスキス内閣の打倒に一役買った。1916年12月にロイド=ジョージ内閣が成立すると、政府のプロパガンダに協力した。彼は1917年にアメリカに参戦を要請する使節団の団長となり、1918年2月には戦争宣伝局長に就任して約400万枚の反ドイツのビラを海外にばらまいた。これらの功績により、ノースクリフ子爵の称号が与えられるのである(小林2011、佐藤1998)。

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