見出し画像

「戦時の嘘」に描かれた戦争プロパガンダ②~宣伝を担った諸機関

前回はこちら。

英国のプロパガンダを担った諸機関

 ポンソンビーが収集した事例を紹介する前に、イギリスにおける戦争プロパガンダの様相を整理しておきたい。

①新聞局

 1914年8月7日、新聞への検閲を行う機関・新聞局(Press Bureau)が設立される。当時の陸軍大臣キッチナーは、「どの情報が危険となり、どの情報がそうでないかということを判断するのは簡単なことではなく、いかなる時も何らかの疑いが存在するため、我々は情報公開を制限することをためらわない」と述べている。
 情報が国民に流れるのを制限することが主眼であり、主体的に嘘情報を流すことは重視していなかった。通信の検閲、特派員や報道の統制などは「国土防衛法」が根拠とされた。

②国会募兵委員会

 1914年8月31日(アスキス内閣)、国会募兵委員会(Parliamentary Recruiting Committee,PRC)が設立される。集会やパンフレット、ポスターなどによって志願兵の増加を目指した。デザインされたポスターは200種類に及ぶ。

③戦争宣伝局

 1914年9月、秘密裏に戦争宣伝局(War Propaganda Bureau)が設立される。外務省の管轄下で、イギリスの立場を正当化するプロパガンダを流した。コナン・ドイルやH.G.ウェルズといった作家が協力するなど、知識人への宣伝が中心で、煽情的などぎつい内容はむしろ避けられた。

④情報部

 1917年2月(ロイド=ジョージ内閣)、戦争宣伝局に代わり、情報部(Department of Information)が設立される。大戦が長期化し、徴兵制に移行したため国民に厭戦気分が広がったことを背景としている。戦争宣伝局とは対照的に、政府の関与は堂々としており、対象も知識人ではなく一般大衆であった。

⑤全国戦争目的委員会

 1917年5月(同)…全国戦争目的委員会(National War Aims Committee)が設立される。映画などを利用した国民の戦意高揚を図った。(①~⑤は庄司2004、佐藤1998,P127による)

公的な関与の度合いは?

 第一次世界大戦は1914年から1918年まで続いた。このようにみると、イギリス政府がプロパガンダに本格的に関与したのは、意外にも大戦の後半になってからだとわかる。

 大戦中に広まった嘘は、新聞が部数稼ぎのために(あるいは純粋な愛国心から)裏付けのないことを書いた場合、大衆の間で自然発生的にデマが広まった場合など、政府とは無関係なケースも多い。

 もっとも、敵国を貶め愛国心を煽るような嘘(国家にとって都合のいい嘘)については、政府はそれを奇貨として敢えて広まるに任せた節もあるため、責任の所在は複雑である。

(続く)

この記事が参加している募集

#世界史がすき

2,672件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?