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「戦時の嘘」に描かれた戦争プロパガンダ⑧~Uボートの蛮行

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Uボートの蛮行

 1918年7月18日、「デイリー・メール」紙は次のような記事を掲載した。Uボートとは、ドイツ海軍の潜水艦である(トップ写真)。

「コリンウッド・ワージェス主計官(海軍省情報局の予備役で、セントジョーンズスクエアの王立クラブで昨日講演した)は、自軍の大西洋の警備艇の一つが、遺棄されたUボートを発見したと述べた。乗員を助けた後、そのUボートを破壊するつもりだったので、司令官はドイツ人船長に、全員が無事に船を移ったかを尋ねた。
「はい」と返事が来た。「彼らはここにいる。点呼をとれ」すべてのドイツ人が答えた。イギリス軍の司令官が、Uボートをまさに海底に落とそうとしたとき、何かをたたく音が聞こえた。(中略)イギリス軍の将校は、Uボートを探すよう命じた。そこで見つかったのは、囚人のように縛られた4人のイギリス人の水兵たちだった。助けられたドイツ人たちは、捕虜を溺死させようとしたのだ」

(Ponsonby1928;P116)

 情報源の人物には一定の肩書があり、話に信憑性を持たせている。しかも話の展開は「うまくできて」おり、ポンソンビーは精巧につくりあげられた嘘の一つと評している。

ブライス・レポートの影響力

 1915年5月、「ドイツ軍による残虐行為疑惑調査委員会の報告」という書物が出版された。調査委の委員長を務めたジェイムズ・ブライスにちなんで、「ブライス・レポート」と通称される。ブライスは名声のある法律家・政治家・歴史家であり、在米大使を務めていた経験からアメリカからの信用が高かった。「ブライス・レポート」の出版は、アメリカの世論を大きく対独参戦に傾ける一因となる。

 しかし、報告書の内容はそれまで新聞に書かれていたようなセンセーショナルな記事と大差なく、オリジナルといえる情報はほとんどなかった。証人の氏名さえも書かれていない点からいっても、その信頼性が察せられる。だが、公的権威のお墨付きを得たことにより、「ドイツ軍の残虐行為」は国際的に流布していった(高橋2012)。

ドイツ側にも問題あり?

 とはいえ、プロパガンダの標的となったドイツを一方的な被害者とみなすのも難しい。ドイツ兵が赤ん坊の手を意図的に切り落として回った可能性はまずない。だが、ベルギーに侵攻したドイツ軍が、ゲリラ攻撃を恐れて民間人を処刑していたのは事実だ。

 ジョン・ホーンとアラン・クレイマーの『1914年のドイツ軍の残虐行為』(2001)の推計によれば、その数は開戦5か月で5521人にのぼる。ドイツ軍には、自軍の都合のためなら民間人の犠牲に鈍感であるという「悪癖」があったのである。商船に対する攻撃である無制限潜水艦作戦もその一つといえるだろう。イギリスのプロパガンダが狡猾だっただけでなく、ドイツもまた敵国のプロパガンダに格好の材料を与えていたのである。

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