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「戦時の嘘」に描かれた戦争プロパガンダ⑦~幻の虐殺事件

前回はこちら。


クールベック・ルーの虐殺

「戦時の嘘」では、「ニューヨーク・タイムズ」紙(1922年)に掲載された話として、次の笑い話のようなエピソードも紹介されている。

「大戦の勃発時、『デイリー・メール』紙の特派員としてブリュッセルにいた特派員は、本社から残虐行為についての話が欲しいと電報を受けた。しかし、そうした話は何もなかった。
 だが、クールベック・ルーという小さな村にドイツ兵がいたという話を聞いたため、赤ん坊が焼かれた村からたった一人救出されたという話を書いて送った。すると、その子を養子にしたいという申し出や子供服の寄付が殺到した。困り果てた特派員は、難民を世話している医者と打ち合わせをし、その赤ん坊は病気で死んでしまったことにした」

(Ponsonby1926,P90)

「磔にされたカナダ兵」

「野蛮なドイツ人」の犠牲になったのは女性や子どもばかりではない。1915年5月10日、「タイムズ」のパリ特派員は次のニュースを伝えた。

「先週、多くのカナダ兵がイーペル(Ypres,ベルギーの都市)周辺の戦いで負傷し、基地の病院に到着した。彼らはみな、彼らの上官の一人がドイツ人に磔にされた模様を語った。彼は、両手と足に銃剣を突きさされて壁にくぎ付けにされ、他の銃剣が彼の喉にねじ込まれ、ついに彼は銃弾で蜂の巣にされた。(略)」

 同紙は5月15日に続報を出しており、詳細な犯行の様子を描いている。しかし注意深く読めば、記者が自ら現場を見たわけでも、公的な発表にもとづいて記事を書いたわけでもなく、「証人からのまた聞き」に過ぎないことがわかる。この「磔にされたカナダ兵」も世間の話題になり、下院で質問がなされている。

 1919年、「ネーション」紙がE.ローダーという兵士の手紙を公開し、「カナダ兵の磔刑」が再び耳目を集めた。その兵士は第二ウェスト・ケント連隊におり、磔にされたカナダ人を見たと述べていた。しかし、同紙は後になって、ロイヤル・ウェスト・ケント連隊にはそのような名前の兵士は名簿に載っておらず、第二連隊は大戦中ずっとインドにいた事実を知らされることになった。

(続く)

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