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【書評】藤えりか「ナパーム弾の少女 五〇年の物語」(講談社)

 ベトナム戦争中の1972年、ある写真が撮影されました。「戦争の恐怖」と題された一連の写真ですが、ナパーム弾で服を焼かれ、大火傷を負った少女の写真が突出して有名です。

 罪のない子供に犠牲を強いる戦場の現実を伝えたこの写真は、世界に衝撃を与えました。ベトナムでの苦戦に加え、世界的に反戦運動が広がったことで、アメリカはベトナムから撤退することになります。

 歴史を変えた写真といえますが、写真の詳細な背景までは意外と知られていません。そもそも、この写真が北ベトナムと南ベトナムのどちらで撮られたかさえ、答えられる人は少ないと思います。

「ナパーム弾の少女」と呼ばれ、世界的に有名になったこの少女はキム・フック(金福、1963~)といいます(姓がファンで、キム・フックは名前)。

 本書は、予期せず世界的な有名人となったキム・フックの、その後の苦難に満ちた人生を追ったドキュメンタリーです。

なぜナパーム弾が落とされたのか

 ベトナム戦争は、社会主義の北ベトナムと、資本主義の南ベトナムの戦争です。米ソ冷戦を背景に、アメリカが南ベトナム側に立って介入し、泥沼化しました。

 南ベトナム内部でも反体制派がおり、南ベトナム解放民族戦線を結成し、北ベトナムに抵抗していました。

 キム・フックは、南ベトナム領のタイニン省チャンバンで生まれ育ちました。1972年6月8日、チャンバンで南ベトナム軍と北ベトナム・解放戦線の戦闘が起き、南ベトナム空軍がナパーム弾を投下。キム・フックとその家族が巻き込まれました。このナパーム弾は、アメリカの軍事支援でもたらされたものです。

数奇な運命

 戦争が始まるまで平和に暮らしていたキム・フックは、たまたまその村にすんでいたために戦闘に巻き込まれ、瀕死の重傷を負いました。

 たまたまゆったりした服を着ていたため、燃えた服がすぐ脱げてしまいました。ぴったりした服を着ていたら、彼女は助からなかったでしょう。

 ナパーム弾が落とされた時、たまたまAP通信のベトナム人カメラマンであるニック・ウトらがおり、決定的瞬間を撮影します。

 報道では、裸の写っている写真を掲載しない原則があります。しかし、戦場の現実を写しているとしてAP通信の上層部は配信を許可。この写真は世界に衝撃を与えました。

 記者たちはキム・フックの身を案じ、より設備の整った首都サイゴンの病院に移送するなど力を尽くします。写真が有名になったおかげで支援を申し出る人も多く、キム・フックは奇跡的に一命をとりとめました。

 いくつもの偶然を経て、キム・フックはひどい火傷の跡とともにその後の長い人生を歩むことになります。

国の思惑に翻弄される

 苦痛の大きい治療を終えたキム・フックは、その後も後遺症に悩まされました。

 戦争は北ベトナムの勝利に終わり、ベトナムは社会主義国として統一されます。ベトナムは、キム・フックを反米のプロパガンダとして利用します。彼女はしばしば政府の命令で取材を受けさせられますが、本心を述べることはできませんでした。医学を志して大学に入ったものの、圧力によってその夢も断念させられました。

 大人になったキム・フックは、ある時よその子どもと一緒に写真を撮らされました。これが、「成長して母になったキム・フック」として報道され、キム・フックは深く傷つきます。彼女は火傷跡のために結婚や出産も難しいだろうと感じていたからです(後に伴侶と出会いますが)。

 自由を渇望したキム・フックは、ベトナムを出ることを夢見るようになります。この思いが、1992年のカナダへの亡命につながっていきます。

 本書の前半は、「無力な少女の悲劇」として読めますが、後半は「強い意思によって運命を切り開いていく女性の物語」へと印象が変化します。過酷な運命を背負わされながら、尊厳を失わなかった人間の物語であり、読者に深い感動を呼び起こさずにはいられません。

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