見出し画像

文学からパレスチナ問題を知る④~「ハイファに戻って」

前回はこちら。

 パレスチナを代表する作家ガッサーン・カナファーニーを紹介する本連載は、今回が最後です。最終回は、1969年発表の「ハイファに戻って」を取り上げます。
 作品を紹介する前に、前提となる知識を説明しておきましょう。


「ハイファに戻って」の背景知識

 ハイファは、現在のイスラエル北部、地中海に面する港町です。アラブ人(パレスチナ人)の土地でしたが、1948年にイスラエル領となりました。

 第一次中東戦争で、イスラエルはアラブ諸国を圧倒し、建国当初より広い領域を占領しました。一方、エジプトはガザ地区、ヨルダンはヨルダン川西岸地区を確保します。

 1967年、イスラエルはアラブ諸国に奇襲攻撃を仕掛け、わずか6日間の戦闘で大勝しました(第三次中東戦争)。この際、ヨルダン川西岸地区やガザ地区はイスラエルの占領下に入ります。

イスラエルの占領政策

 占領地には100万人近いアラブ人が住んでおり、イスラエルが彼らを完全に統制するのは困難でした。第三次中東戦争の後、イスラエルはアラブ人に対し、移動の自由をある程度認めました。政治色のない仕事や観光目的であれば、イスラエル領内の移動は容認されたのです。

 また、ヨルダン川西岸地区とヨルダンに関しても往来は自由化されました。ヨルダン川にかかる橋を開放したことから「オープンブリッジ政策」と呼ばれます。

 パレスチナが「天井のない監獄」となっている現状を考えると驚きですが、このような時代もあったのです。

ある家族を襲った数奇な運命

「ハイファに戻って」のあらすじを理解するには、上記の背景を知っておく必要があります。

 ハイファに住んでいたアラブ人のサイード・Sと妻のソフィアは、1948年のイスラエルの侵攻で土地を追われました。その混乱の最中、夫妻は生後間もない息子のハルドゥンを、家に置き去りにせざるを得ませんでした。

 その後、夫妻はヨルダン川西岸のラマッラーに住み、新たに生まれた子供を育てます。しかし、生死不明となったハルドゥンのことをずっと引きずっていました。

 1967年の第三次中東戦争により、ラマッラーはイスラエルの占領地となります。先述したイスラエルの方針のため、夫妻はハイファに行くことが可能になりました。

親子の悲しい再開

 サイードとソフィアは、かつて住んでいたハイファの家を訪れます。その家には、ユダヤ人の老女が住んでいました。彼女にもまた、ホロコーストの生き残りという悲しい来歴があります。

 置き去りになったハルドゥンは、子どものいなかったユダヤ人の夫妻に引き取られ、イスラエル国民として育てられていました。

 サイードとソフィアは、青年となった息子と対面します。しかし、息子はイスラエル人のアイデンティティを確立しており、生みの親に対して冷淡な態度をとります。

「ハイファに戻って」が伝えること

 血を分けた親子が、なぜこのように断絶せねばならないのか。本来はパレスチナの地で共存できていた民族が、なぜ憎み合う結果となったのか……

「ハイファに戻って」は創作ですが、似たような家族の分断は多くのパレスチナ人に実際に降りかかったことでしょう。パレスチナに特殊な事情ではなく、世界中どこの住民にも起きうることです。
 
「パレスチナ問題は複雑で難しい」とよく言われますが、私はあまり使いたくないフレーズです。「無理に理解できなくても/関心を持たなくてもいいかな」という言い訳に使えるからです。

 市井の人間に何ができるわけでもありませんが、過酷な現実から目をそらさず、まず知ろうとする姿勢が必要なのではないでしょうか。

 ガッサーン・カナファーニーの作品群は、パレスチナ人が感じ、考えてきたことに触れる最適な手掛かりになるはずです。

《完》

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

#世界史がすき

2,696件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?