文学からパレスチナ問題を知る③~「太陽の男たち」
前回はこちらです。
1963年発表の「太陽の男たち」は、現代アラブ文学を代表する傑作として高く評価されています。
パレスチナとクウェート
「太陽の男たち」は、イラク南部の都市バスラから、クウェートへの密入国を試みる三人の男たちの物語です。
イギリスの植民地であったクウェート(1961年独立)は、真珠の生産が主力産業でした。しかし、御木本幸吉が真珠の養殖に成功するとクウェートの経済は打撃を受けます。
貧しい地域となったクウェートですが、1940年代に石油開発が本格化します。クウェートは労働力を必要としましたが、同時期に祖国を失ったパレスチナ人が多く流入しました。
密入国を試みる男たち
同じパレスチナ人でも、富裕層や知識人は合法的に移住し、それなりの暮らしをすることができました。しかし、多数派の何も持たないパレスチナ難民は、難民キャンプでの生活を余儀なくされ、そこから脱出するには密入国という危険な手段に訴えねばなりませんでした。
「太陽の男たち」に登場するパレスチナ難民も、それぞれの事情を持ちながらも、いずれも経済的苦境にあります。バスラには利用者の多い密入国ブローカーがいますが、そのブローカーに払う金さえもありません。
そのため、彼らは安い代わりに危険の多い手段での密入国を試みました。国境を越える給水車のタンクの中に隠してもらうのです。
悲愴なラストシーンの意味とは
夜間の国境は警備が厳重なため、給水車はあえて炎天下の昼間に検問を通りました。タンクの中は灼熱ですが、数分程度耐えれば大丈夫という計画でした。
しかし、運転手が予期せぬ事情で足止めされ、3人の男は灼熱のタンクの中で死んでしまいます。ショックを受けた運転手は、ラストシーンで次のように叫びます。
この答えの帰ってこない問いかけこそ、「太陽の男たち」を印象深い作品にしています。
なぜ、彼らは壁を叩いて助けを求めなかったのか。パレスチナ人は、世界に助けを訴え続けていますが、いまだにその訴えが実っていません。
「パレスチナ人は、じっと耐え続けることに慣れてしまったからだ」とも、「助けは求めたが、その声が届いていなかったのだ」とも解釈できます。他の解釈もできるかもしれません。
なお、クウェートに合法的に入国したパレスチナ人も多く、密入国も多くは成功しています。カナファーニーは敢えて例外的な「密入国失敗」の事象を取り上げ、何も持たないパレスチナ難民の姿を描こうとしたのです。
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