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【金属バット】 統失2級男が書いた超ショート小説

自分ではずっと面白いと思っていた。俺を理解出来ない世間が未熟なだけで、続けていればいずれ人気は出て来る。15年以上そう思いながら芸人を続けて来た。しかし、売れる気配は一向に見えて来ない。そこで、最近は分かりやすい笑いにシフトチェンジもした。背に腹を代える事は出来なかった。だが、それでも上手くは行かなかった。容姿は悪くもなく良くもなく極々平凡だった。売れない理由は顔ではない、するとやはり俺は面白くないのか?37歳のクリスマスに屋代芳樹はアパートの小さな1室で1人、芋焼酎を飲みながら弱気になっていた。芳樹を弱気にさせていた理由は他にもあり、それは元恋人の浜崎久美子だった。久美子はクリスマスの2日前にLINEで別れ話を持ち出して来た。大事な話をLINEだけで済ませようとする久美子には腹が立ったが、芳樹は20代前半の頃、当時の恋人に振られた際にストーカー紛いの行動を取ってしまい、その恋人の兄と兄の2人の友人計3人に暴行を受けた事があった。その出来事は37歳の今もトラウマとして芳樹の脳裏に居座っており、久美子からの別れ話にはLINEで「分かったよ、それじゃあ、さよなら」と簡潔に返して素直に応じた。芳樹には遺体安置所で横たわる妹を見て泣いた過去があったが、クリスマスの夜、それ以来23年振りに泣いた。

翌日、芳樹は芸人を辞める決心をしていた。幸いにも芳樹はピン芸人だったので、相方を説得する必要は無かった。所属事務所に電話を入れると、引き止められる事もなくあっさりと担当者は引退を了承し、担当者のその対応は芳樹のプライドを酷く傷付ける事になった。本来の芳樹は理性的な男だったが、この時ばかりは自暴自棄に陥っており、芳樹が考えた今後の身の振り方は大幅に道徳や常識から逸脱するもので、それは刑務所に入りその実体験を元に小説を書いて作家デビューするというものだった。しかし、人を傷付けて長期刑を受ける気は無い。そこで芳樹はスポーツ店で金属バットを購入し、深夜の無人の交番に侵入して金属バットで交番中を破壊して回った。硝子、鏡、電話、机、便器、花瓶、ロッカー。目に入る物全てを破壊した。それから自分のスマホで110番して警察を呼んだのだった。芳樹はパトカーに乗せられたが、警察署には連行されず、フェリーに乗せられとある孤島の施設に連れて行かれた。そして、そこで支配人と名乗る大柄な男にこう言われた。「お前は野蛮人なので刑務所には入れない。暴力の怖さを知って貰う為にお前には、これから金属バットを用いた殴り合いで、4人の男たちと戦ってもらう。殺せば勝ちでお前が死んだらそこで終わり、4連勝すれば賞金3億円。この戦いを拒むのなら今すぐ死刑。どうするかね?」自暴自棄の気持ちが続いていた芳樹は、この戦いを承諾する事にした。2日後、世界中から集まった富裕層536人が見つめる中でその戦いは始まった。芳樹は中高時代の6年間を剣道に捧げていたので、金属バットを用いた戦いでも強く、簡単に4連勝してしまった。賞金の3億円を手に入れた芳樹は本土に戻り、飲食店経営に乗り出した。その結果、更に金持ちになり芳樹が経営する飲食店は日本各地で営業を続ける事となった。

3人の妻との間に4人の子供を設けた芳樹の波瀾万丈の生涯は72年で終焉を迎える事となった。そして、芳樹の遺言状は芳樹の邸宅で弁護士に依って発表される運びとなった。邸宅の大広間には期待と不安を抱えた落ち着きのない様子の芳樹の遺族たちが陣取っている。暫くすると、丸眼鏡を掛けた小太りの中年男性弁護士が、滑舌も軽やかに遺言状を読み上げ始めた。遺族たちは今度は誰もが口を真一文字に結び真剣な眼差しでそれを聞く。十数分後、一通りの発表が終わると大広間はざわめきに包まれた。それは、弁護士の口から発せられた遺言状の内容が余りにも衝撃的なものだったからだ。『3人の子供たちはそれぞれ22億円を相続するが、長男の和幸だけは金属バット1本だけを相続する』それは酷く常軌を逸した遺言状だった。しかし、芳樹がこの様な遺言状を残したのには、芳樹なりの理由があった。芳樹は3回離婚していたが、うち2回は自分から切り出した離婚だった。だが和幸の母親である詩織との離婚だけは向こうからの希望だった。詩織は芳樹より18歳も若い男を愛し、あの日、和幸を連れて芳樹の元から去って行ったのだった。そして、芳樹は死ぬまで詩織と和幸を憎んでいたのだ。和幸は紛れもない芳樹の息子である。しかし、芳樹には和幸の体に流れる詩織の血が許せなかったのだ。弁護士の発表を聞いた和幸の脳内は激しい怒りで満たされた。制御心が崩壊した和幸は弁護士の前に置かれた金属バットを素早い動作で手に取ると、無表情でまた無言のまま弁護士1人と兄弟3人を金属バットで殴り殺してしまった。この金属バットは35年前に芳樹が名も知れぬ孤島で、名も知れぬ男たち4人を殴り殺した金属バットだった。12年後、和幸は絞首刑に依ってこの世を去る事になりました。

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