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【自己紹介】こんにちは。私は刀祢翔太です。

みなさん、はじめまして。
刀祢 翔太(とね しょうた)です。

この投稿を見ていただき、ありがとうございます。


自己紹介で伝えたいことを3つにまとめますと、

1. 人の交流と心について関心が強い人

2. 家庭という場について真剣に考えている人

3. 人が幸せになっていくのを側で見れると自分も幸せな気持ちになる人

です。

他にも私は、こんな人なんだよ〜って1週間くらい時間を使ってしまって、たくさんの内容を下書きしたのですが、
読む人のことを考えたら「これは読むの大変ね」と思って書き直しました。

また後ほど、こんな人生でしたと投稿しようと思います。



人生ってダイナミックですよね〜。

私は、医療業界と役者業界の経験がありますが、
人と話していくと本当に人それぞれのストーリーがあり、
皆さん精一杯生きている息遣いを近くで感じます。

前に進みたいエネルギーをそのまま出せる人もいれば、
過去の脚本に縛られてアクセルとブレーキを同時に踏み込んでいる人もいます(それぞれの踏み込み具合はいろいろあるでしょうが)、
少し前の私は後者の一人でした。


3つの伝えたいことは、
〈私の進みたい道を教えてくれている明確な信念や価値観〉
を含んだものです。

1. 人の交流と心について関心が強い人

私は、和歌山県の山の中にあるド田舎で育ちました。
周辺の人口は少なく、両親は共働きで、ひとりで過ごす時間が多かったです。

人とコミュニケーションする機会が少なかった、人と一緒に過ごす時間が少なかったとも言えます。

その分、自分のことについて考える時間が多かったです。

いい意味でも悪い意味でも〈我がまま〉で、成長してきたと思います。

山の中の家に帰るため、
夕暮れ後の街灯のない月明かりの通学路を虫の鳴き声と風で揺れる木々の音を聞きながら、
ひとり寂しく自転車を押して帰った経験のある人は、珍しいのではないでしょうか。

高卒後、大阪で一人暮らしを始めた私は、欲しいものがすぐ買える環境に感動しました。

反面、人と関係性を築き、親密さによってもたらされる幸せの感動には、当時はまだ気付いていなかったです。

人と喋って自分が傷つくくらいなら、ひとりで計算できる楽しい時間だけあればいいと思っている時期もありました。

その時期は、本当は人と話したいけど自分がコミュニケーションを上手くできていないことをまだ分かっていなかったですね。

俯瞰してみれば、自分が人とどういう交流の仕方をしているのか気付いていない状態でした。

感情がないわけではない。

私の心は、ひとりで時間を過ごしていて映画やアニメを観て感動するし、
仕事の中での葛藤もあるし、
本当はリアルな世界でもっと笑ったり泣いたり怒ったりしたかったんだろうなと振り返れば思います。

リアルな世界で人とつながりたいと思っていた私の心の中にある小さな気持ちは、
台本を読むことだったら話すことが決まっているし、
自分の内側と外側の世界に変化をもたらすのではないかと思い、
仕事を調整して某大手声優養成所(当時は大阪校がありました)に通い始めました。


一度自分の気持ちに正直に生き始めると、もう後戻りできなくなりました。

5年勤めた大阪のクリニックを退職し、事務所の多い東京で役者やナレーター活動をやりたいと思い、東京へ引っ越しをしました。


しばらく活動していて、役者の業界や医療の業界に限らず、気持ちのいい交流と何だかモヤモヤする嫌な交流があることに気付き始めます。

私は、〈嫌な交流がある場〉にいるのが苦手です。

理由は、過去の私の家庭環境にも嫌な交流の瞬間があったからです。

人は、なぜわざわざ嫌な気持ちになる交流をするのでしょう。

私がそういう場を苦手に感じるもう一つの理由は、
医療職の経験から死を身近に感じていて
〈生きている時間は有限である。だから生きている間に人は誰でも自分から幸せになることを選んでいい〉
と思っているからです。

私は、嫌な気持ちになる交流をしないようにして、お互いが幸せになる交流をしたいです。


2. 家庭という場について真剣に考えている人

この先、ちょっとマイナスなことを書きますが、
子どもの頃、両親に面と向かって褒められた記憶がありません。

ある時、親から「川で拾ってきた」なんて冗談を言われましたが、子どもの心にその言葉がどういう影響を与えるか父親は考えたことがあったのだろうか。

子どもというのは、大人ほど先々を考えて行動しません。
しかし、子どもなりに思うことがあって行動します。
そして目の前の遊びが、どうしたらもっと面白くなるのか創造しながら生きています。

私の小さい頃がそうでした。

当時、後先を考えず全力で遊んでいましたから、相手に怪我をさせることがあったり物を壊すことがあって、後から親と一緒に謝りに行くことがありました。

「アホちゃうか」「考えろ」みたいなことは何回も言われました。
引き起こした結果は、確かに良くなかったです。

問題があったことを反省するのは必要です。それは十分理解しています。

いろいろ考えられる年齢になってくれば、問題が起こる前に気付けますが、
頭ごなしに全否定されると、子どもは必要以上に自分を責めたりします。

私は当時、辛かった。

問題を起こしたことでまた怒られると思うと、小さかった私は親に迷惑ばかり掛けて「自分は、いなくなりたい」と何回か思いました。

それ以降、リスクを避けるようになった分、挑戦もどこか計算のできる範囲で大きなことはしなくなったように思います。


あれから大人になり、
現在、私には10ヶ月の息子がいます。

息子は、まだ言語的なメッセージは理解できないでしょうが、
毎日「大好きだよ」「愛しているよ」
「生まれてきてくれてよかった!嬉しいよ〜」と肯定的に伝えています。

抱っこして息子を抱きしめると小さな手で掴んできて、私もあたたかい気持ちで満たされます。

現在の私は、人と関係性を築き、親密さによってもたらされる幸せの感動に気づくことができました。

教育上、条件付きの否定のコミュニケーションをすることはあっても、
子どもの存在力を脅かすような言葉や、過度な不安を動機づけるようなコミュニケーションはしたくないです。

子どもだって、立派な一人の人間です。

子どもの声を聴いて、存在を尊重していきたい。

自分が育った家庭とは違う方法で、子どもの可能性を伸ばしていきたいです。

今後のnoteの投稿内容は、教育や親子・パートナー間の交流の仕方についても発信していくことを考えています。


「良い恋愛をしたい」「これから幸せな家庭を築きたい」「親子間コミュニケーションに自信を持ちたい」と思っている方は、時々見にきていただけると嬉しいです。


3. 人が幸せになっていくのを側で見れると自分も幸せな気持ちになる人

30歳になり、いろいろあって所属していた劇団を辞めることになりました。

住むところを転々と変えてまで、

人生で一度は挑戦したかったことをやってみた私は、

その後、これからどうしたいのか悩みました。

「私が今までしてきた行動は、本当は何が得たかったのか?」

「私の幸せの源は、何だろうか?」

簡単に答えが出ず、私にとって苦しい時がありました。

手当たり次第に本を読みました。

時には、気になった人に会いに行き、
縁があって、行動を共にすることがありました。

私は、医療の仕事とは別に渋谷で民泊のスタッフをしていた時、
多種多様な日本人と多国籍なたくさんの人に出会いました。

中には(私から見れば)無茶苦茶な人がいました。
自分の好きなことをして生きているんだけど周りからも愛されている人がいました。
私はOK、あなたもOKな関係性を築いている人がいました。

そんな人たちに触れて、少しづつ自分の思考の枠を外していきました。

コーチングという手法があるのを、この時出会った人から初めて知りました。

親にも友達にも同僚にも彼女にも聞かれたことの無い質問は、新鮮でした。

こんなコミュニケーションの仕方があるんだと、私は感動しました。

自分の内側と外側の世界に変化が起こるコミュニケーションが、コーチングでした。

台本もない。

観客もいない。

演出家もいない。

装飾を全て取り除いた

シンプルな

〈あなた〉と〈わたし〉が本音で話す時間。

私が得たかったことは、〈あなた〉と〈わたし〉が本音で話すひと時だったんだと答えが出たのは、33歳になってからでした。


35歳になった今、医療職の時間を減らし、子育てとライフコーチングの時間を最大限に増やしました。

そして毎日、私は人を育てることに楽しさと豊かさを感じています。

息子の成長を見るのはもちろんのこと、コーチングのクライアントが幸せな顔をして成長していくのを見ると何とも言えない嬉しさが込み上げてきます。

人が幸せになっていくのを側で見れると自分も幸せな気持ちになる。
このひと時が、私は大好きです!

あなたが幸せになりたい話、言いたくなったら是非私にも聴かせてください。


最後に

長い文章を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

これも何かのご縁ですね。

スキやフォローで応援していただけると嬉しいです。

生きてる間に、〈あなた〉と〈わたし〉が本音で話すひと時が実現しますように。

これからもどうぞよろしくお願いします。



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