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「自分」とは

 今回は、最近読了した「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない 著 東畑開人」から得たヒントを元に、本記事タイトルのテーマについて述べていこうと思う。

 こちらの著書の中で、「心の補助線」というワードが出てくる。心の中で起こる、一つと思われていた事象に補助線を引き分解し、さらに一つ一つに対してアプローチして、クライエントの心をいい方向に導いていく心理士 東畑氏の様子が描写されている。
 読書が苦手な方にとっても、難しい事をかなり噛み砕いて、且つ優しい文調で書かれているので、興味のある方は是非読んでみることをお勧めする。

■可視化

 心とは物体ではない(少なくとも目に見えることはない)様に思う。では、人間やその他の生き物のどこに、それがあるのか。脳の中?、心臓のあたり?
 ところで、心を可視化するという試みは専門家や大人になる前、実は幼い子供の頃のお絵描きや落書き等から、すでに始まっている。
 そして最近、僕は知人が仕事をする上での悩み相談を受けた。その内容を僕が解釈すると以下の様になる。


・職場のルール(ローカルルール)と自分の考えが違う事。

・職場のルール(ローカルルール)こそが正義かもしれないが、相談者の考えも一般的にズレているわけではないこと。

・相談者は職場のルール(ローカルルール)にどうしても納得ができず、指導されても、自分のやり方やこだわりを貫こうとしてしまうため、どこの職場に行っても、村八分にされてしまう。

・納得できない職場のルール(ローカルルール)に従うことは、敗北を意味し、自分の心を殺すという事になるという、偏った考えを持っている事。


 僕は今までも相談者のメンタルヘルスに関して、様々な言葉や例え話を使って助言をしてきたが、理解してくれていなかった。
 今回もいつも通り言葉で説明をしていたわけだが、僕が発した「割り切る」という言葉。その「割り切って仕事をするとは何か?」を問われた時、初めて可視化して説明する事にしたのだ。


図1

 今回のケースだと、左の〇の中に記されているのが、職場や自分以外の従業員、右の〇の中に記されているのが相談者になる。
 ここで、先程紹介した書籍に出てくる様な補助線を真ん中に引いてみる。


図2

 この図を基に、説明をする。職場のルール(ローカルルール)と自分の考えが違うとき、中央に線を引く事が「割り切る」という事。
 もっと詳しく言うと、職場のローカルルールや他の従業員と、自分は考え方が違うけど、賃金を頂くために「割り切って」合わせて働くという事。
 そして、外界と自分に境界線を引いている事で、自分の心や考え方を殺す必要がない。だから、自身の尊厳を守る事ができるし、たまに「あなたはどう思う?」と咄嗟に聞かれたとしても、「自分ならこう考えます。」と答える事ができたり、YESマンになりにくくなるような、オマケの効果もある。

■自分とは

 こうして可視化して、相談者に説明をしていて思いついたことがある。
 「自分」とは実は相対的な存在なのではないか、という事だ。図1では、絶対的な「自分」がいる事を前提にしていたため「自分」に〇を囲っていたが、「自分」という心(概念)や考え方というのは全世界の共同体の中の一部なのではないか。そう考えると、この図の書き方も変わってくる。


図3

 この共同体の中では、すべてが混ざり合っている状態。この中で「周りと私は違う」と思ったものが、境界線を引き、自ら分けて「自分」を作り出すのではないのか。イメージを図で書くと以下のようになる。(図4→図5)


図4


図5

 違和感を覚えるロジックかもしれないが、意外とこれを適用すると合点のいく事がある様な気がする。
 「人は皆、孤独だ」という主張や、たくさんの家族や仲間がいるのになぜか感じる孤独感等の事。
 「自分」とは、全世界の共同体から境界線を引き自ら分けた存在なのだから当然の結果なのかもしれない。

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