たまこ | おひとりさまのサイドトラック放浪記

大手企業でどうにかこうにか生き延びてきたものの、あまりにもしんどくてその表街道からうっ…

たまこ | おひとりさまのサイドトラック放浪記

大手企業でどうにかこうにか生き延びてきたものの、あまりにもしんどくてその表街道からうっかりドロップアウトしちゃった人生こじらせシングルウーマン。人生はじめてのサイドトラックをほっつき歩いて新しい未来をつかみとる(予定)までを実況中継してみる。 ※だいぶ時差あり

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春なので自己紹介

昨年2020年12月にnoteをはじめて早3ヶ月。アップした記事やっと10本。 自分の備忘録として突発的にスタートしましたが、noteにはnoteの流儀があることを学び。ということで、今さらですが自己紹介です。 自己紹介 【本名】 恥ずかしいので言えない。 けど勢いでつけた「おひさま」はもっと恥ずかしいので、そのうち名前は変えちゃうかも。 あ、アイコンは高校時代にイラストの上手な友人が書いてくれた、当時の私の(かなり美化された)似顔絵です。 【素性】 1974年、英国生ま

    • わたしのお父さん

      父は昭和一桁生まれの、時に厳しく、こわい父でした。   父のまえではティーンエージャーのようにいつまで経っても素直になれず、毛嫌いしていました。 父がやってくれたことより、してくれなかったことばかり数えていました。 それなのに今はやってくれたことしか思い出せません。 夏にはいつも長野の蓼科へ行き、山に登ったり川で遊んだり、冬にはスキーに連れていってくれました。 学校の成績や勉強に口をだすことは滅多になかったけれど、 高校の面談で担任の先生から「お嬢さんは会社のおじさま方

      • 感情を数値化する

        3月1日に復帰活動を開始してから早くも5ヶ月が経ってしまった。環境適応能力が高すぎるわたしはなんだかんだいって乗り切っているが、仕事に時間をとられ、noteを読んだり書いたりする時間が圧倒的に減ってしまった。 ダイジなことがあとまわしになるって本当にいやだ。以下は3ヶ月ほど前にしたためたまま放置していた当時の思い。 フラストレーションの原因 復帰から1か月をすぎたころ、産業医による中間チェック面談がおこなわれた。先生は前回と同じデータドリブン先生だ。 そのころわたしはと

        • すべての女性に花束を。

          男性優位のザ・ニッポン企業で働いてきたからだろうか。ジェンダーギャップ問題についてはついつい熱く反応してしまうところがある。 あまり熱くなると「フェミニスト」だの「ヒステリック」だの言われかねないと、ついお茶をにごしたり、とはいえ男のひとも大変よねとか言ってひよってしまうときもある。 でも今日はやっぱり言っておこう。女性は生きるのが難しい。そして女性の生き方はかっこいい。 女性社員が社会で受けた洗礼社会にでるまであまり女性の立場だの役割だのといった問題に意識をむけたことな

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        • サイドトラック放浪記
          6本
        • サイドトラック放浪記 番外編
          1本

        記事

          復帰前夜

          プチ移住に失敗し、住む家もなくなりはしたが、わたしは奥の手「実家に戻る」を使ってこの難局を乗り切ることにした。 実家といっても住んでいた場所から交通機関を使って1時間もかからない。昨年秋に脳梗塞をおこした父親の認知症が一気にすすんでシモのコントロールもヤバくなったというのも一因だ。 復帰レッスン介護プロジェクト 久々に家族とはいえ他人と共同生活をし、朝から晩まで父親の介護と家事にあけくれた日々を過ごしたことはリワークに通わずとも何気にいいリハビリだったように思う。 な

          休職終了宣言 -最終顛末-

          東京から片道7時間かけてついたそこはのどかなのどかな山中にある、人口1,000人にも満たない小さい集落。あるのは山と川。 不必要な情報をシャットダウンし、心静かに過ごすにはこれ以上最適な場所はないかもしれない。ただわたしはその環境を求めているわけではないので、3ヶ月も退屈せずにやれるだろうか。一抹の不安が胸をよぎる。 お試し体験へいく前に担当者とは数回のオンラインセッションをおこなった。下記の利用条件はクリアしていた。 ✅ 仕事を休んでいる ✅ 産業医または主治医よ

          休職終了宣言 -その後の顛末3-

          ※記載内容はあくまでも個人の感想&意見のメモ書きです。 リワークに通う=復帰が半期伸びることになるので、その時間を最大限有効活用するためにどう過ごすべきか、説明会までの間に集中して考えた。 そして思いついた。 そうだ、プチ移住しよう。理由1:都会より田舎のほうがあっているのではないか、という長年の疑問を解消したい 理由2:昔から転勤に憧れていたのに一度も東京近辺以外に住んだことがないのがいや 理由3:海外移住に未練がある。日本で知らない土地に住んで練習したい だってリ

          休職終了宣言 -その後の顛末2-

          総務部との面談を終えたわたしは所属部署面談につづき、産業医面談を受け、その翌日から業務をスタートさせる、という段取りでコトをすすめていた。復帰までもう間もない。 なんとなくこの何にも所属しない気楽さに対する惜別の念と、早くもう一度何にも所属しない不安から解放されたい、といういりまじった感情につつまれた。 でもまあこの辺が潮どきだ。 所属部署面談新しく所属する部署の仕事の内容は、休職前に同本部内にいて週報にも目を通していたこともありなんとなくやることはわかっていた。 逐一連絡

          休職終了宣言 -その後の顛末1-

          復帰しよう!と決めてからすぐ総務部と連絡をとり、11月から総務部面談・復帰先部署面談・産業医面談、の3つの面談を行った。その間、休職期間最後の命の洗濯(旅)もしっかりやり遂げた。わたしは満足していた。 1 総務部との面談総務部とのオンライン面談には担当社員とその上司の2名だった。面談の目的は 「医師の意見書のもと復帰の意思を伝え、復帰のタイミングと職場の労働環境条件を相互にすり合わせる」 なのだが、それは複数回にわたる担当者とのメールや電話で事前に済んでいたので、総務上長の

          Reborn

          そんなこんなで、涙とともにスタートした休職から1年と3ヶ月、そしてnoteをはじめてからちょうど1年となった。 この一年、早かったか遅かったかといえば、本当に早くも遅くもなかった。 働いているときは、もう1年なんて光矢のごとく飛びすぎていったけれど、今の心境は「もう一年」でも「まだ一年」でもなく、ただただ、時間とともに過ごした、という感じがする。 だからいつも年末がせまってくると感じていた 「ああ、また一年たっちゃった。またこの一年何もしなかった」 とか今は思わない。

          休職活動終了宣言

          休職宣言を自主発令してから早1年と2ヶ月がたった。 長いようで短いようで、という感情は特になく、ただただ時間どおりに日々が過ぎていったように思う。 休職はマックス2年まで可能だけど、もう十分休んだかな、という気持ち、さっさと次のステージへ行こう(次への行動にうつしたくても休職していると制限がかかって動くに動けないのだ)、っていう気持ちに押されて復職の準備にとりかかっている。1年と半年ほど悩まされていたじんましんが完治したこともストレスから解放された証と受け取った。 若い方

          あのころは若かった -episode2-

          どうでもいい小ネタver.2。 当時は外資の広告代理店に出向しはじめたばかりで異様に忙しかった。新しいメンバー、新しいクライアント、新しいシステム。新しいタスク。順応するにもパワーがいるのに、うっかり婚活なんて不慣れなものまでに手を出そうとしたのがそもそもの誤りだった。完全にオーバーフローしてました。 お見合い写真「女はやっぱり顔!」 のひとことで見合い写真をとることになった。 寄る年波と重力に素直に流されるまま押されるままに長い年月を過ごしてきたこの顔だが、そろそろ反

          コミュニケーションスキル

          どこへいっても口をひらけば「コミュニケーションスキルが大事」といわれ、社員に求められる能力の筆頭にも掲げられている。 インターネットで検索すればその定義もわんさかとでてくるし、講座まで山ほどある。いまやコミュニケーション至上主義といっても過言ではない。 そうまでして定義づけられたり学習機会が用意されているのは、やはり「コミュニケーション」を履き違えたり悩んでいるひとが多いからのような気がしてならない。 社会での立ち位置と個人の立ち位置 わたしは社会人としてのコミュニケーシ

          あのころは若かった -episode1-

          重いネタばかりだったので、ちょっと小休止。 10年以上前に思いつきで書き始めた期間限定ブログ(三日坊主)をうっかり発見してしまいました(よく残っていたな)。 サービスの終了などの不測の事態によってブログが抹消されないうちに保存をかねて、ネタ(?)の一部をこちらに移行することにしました。 あほ丸出しですが、ネタはずばり婚活。 そういやそんなこともあったなあ、と思わず遠い目をしてしまいました。 え、結果?それは聞かんといて。 婚活始動そもそもだ。 長ーい間婚活しようしようと

          自己肯定と自己信頼と自己確信

          休職中にやって良かったことのひとつは、「文章教室」に通ったことだ(通ったことの成果がここのnoteに表れているか否かは別の話)。 今週締切だった最終課題の制作物を提出し、半年におよぶ学校が終わった。 授業は毎週1回。内容は文章の構成方法だったり校閲・校正のしかた、webライティングのテクニック、アクセス分析、インフォグラフィックに自己文体の研究まで多岐にわたる。特に一番よかったのが、「文体の研究」だった。 文章を綴るということ毎回テーマに沿って1500字程度の文章を書く。

          キャリアを考える

          その日の夕方、本社ビル5階にあったカフェスペースで待ち合わせていた若手女性社員のアイちゃん(イニシャルが I )は、愛想のひとつもふりまかず、見るからにクサった顔であらわれた。 女性活躍支援制度2012年のことだ。希望して行った国際部門が解体され、わたしは国内の某部門へ異動したばかりだった。今までのキャリアから考えると、厳しいことで有名だった別の部門のほうが向いていた。 けれど当時の上司はおそらくよかれと思って、わたしの意向をきくこともなく厳しくない部門へわたしを送り込ん