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プチ移住に失敗し、住む家もなくなりはしたが、わたしは奥の手「実家に戻る」を使ってこの難局を乗り切ることにした。

実家といっても住んでいた場所から交通機関を使って1時間もかからない。昨年秋に脳梗塞をおこした父親の認知症が一気にすすんでシモのコントロールもヤバくなったというのも一因だ。

復帰レッスン

介護プロジェクト

久々に家族とはいえ他人と共同生活をし、朝から晩まで父親の介護と家事にあけくれた日々を過ごしたことはリワークに通わずとも何気にいいリハビリだったように思う。

なにしろ毎日朝から寝るまでやることがある。

やらなくちゃいけないことに追われるのは負担でもあるが、張り合いでもあった。
大嫌いなクソジジイだった。
だが脳梗塞のおかげでクソジジイ回路がこわれ、いい感じに幼児化した。
おかげで積年のうらみも徐々に解消されている。
外部の介護サービスやスーパーのお惣菜をふんだんに駆使して自分の時間をたっぷり確保し、そしてたまに発生する不測の事態に対処しながら完全をめざさない介護プロジェクトを姉とともに実行している。
全国の家事を担っている皆々様、マジで尊敬します。

通勤レッスン

昨年末、もう心残りはない、復帰しよう、とは思ったはずだったのに、いざ復帰の日が近づいてくるとためいきの長さも深さも割増しされていく

先日健康診断のために月曜日の通勤時間帯に出社した。
実家から通うことになったので通勤時間は1時間半。

ひたすら黙って携帯を覗き込んでいるサラリーマンや学生に紛れ、こうして何も考えず満員電車で労働現場へ運ばれていくひとりに戻ってしまうのかと思うと気が滅入る。

しんどい。

会社の最寄駅に到着した瞬間、ついにぽろりと涙がでた。

あー、思い出しちゃった。
わたしはこの生活がいやだったんだ。
ぼけっと何も考えずに電車にのり、時間と労働力を搾取されにいく。

でも今は考えないようにしよう。
ただたんたんと目の前のものをこなしていけばいいのだ。
今日はただの健康診断。
これからはじまる労働生活のことを今は考えない。

するとまた脳が勝手に昔の記憶をひっぱりだしてくる。
ここ数年口すっぱく言われ続けていたセリフ。
会社の年頭指針やら朝礼でえらいひとがいつもいっていた。

「答えがわからない時代。自分で考えてください」

ということば。

たまこちゃーんって近づいてきたクジラさん

いやいやいや。Vol.1

考えろだと?今さらなにを。

サラリーマンは考えないことを盾にして戦ってきた戦士だ。

「余計なことは考えない」「疑問に思わない」

を盾にして自分の立場や心を守ってきたんだった。

大雪がふろうと事故で電車がとまろうと乗車率200%を超える電車に乗り続けることに疑問を持たない。

個人目標を達成しても評価は全体の業績評価にとどまることの意味を考えない。

いつまでたっても積極的に有給休暇が消化されないことに会社が最低取得を強制する文化の意味を考えない。

課長会の参加者80人のうち女性は2名しかいないけど女性活躍企業に選定されてることに疑問を持たない。

そう、矛盾だらけの社会で本質を考えだしたら大変なのだ。疑問に思ったらアウトなのだ。
心をとざし、疑問を封印し、社会生活でツルツルになるまで磨かれた社交性を最大限にいかして荒波に漕ぎ出していくしかないのだ。

いやいやいや。Vol.2

でもやっぱりおかしい。わたしは納得がいかないのだ。

だからわたしはやっぱり考える。
これからもおかしいもんはおかしいという。
納得いかないっていう。

わたしがもってるだれにも負けない武器は反骨精神だ。
わたしは休職することで会社の矛盾に全身全霊で反発したのだ。
「休職宣言」とストライキを高らかに宣言して休職を勝ち取ったのだ。
これからも世の中のおかしいことから目をそむけたりなんかしない。

大海原を自由に泳ぐクジラさん

このストライキで学習したこと。

■自分を尊重する

わたしは常々自分のコミュニケーションスキルの高さを自慢してきた。それを使いこなして苦手なはずの営業もやってのけてきた。その代償として自分を削りつづけてもきた。

昨年、キャリアカウンセラーの練習中というひとの相手をする機会があった。
飲み屋での開催だったので、飲みながらぼちぼち相談するかと思ったが、やる気満々のそのひとは「休職って何があったの。よかったら聞かせてほしい」と目を輝かせてズカズカと踏み込んできた。

面倒くさいな。

カラダがぎゅっと閉じた。ひらいていた自分の目が細くなるのを感じた。

昔のわたしなら場を理解し、相手を尊重し、自分の気持ちは封印してペラペラしゃべっただろう。でも今、わたしが嫌だと言っている。

「断る」

スッキリした。カラダが緩んだ。目の大きさが元にもどった。
どうせ一回こっきりの相手だ。明日にはお互い名前も覚えていない。
わたしはこういう後腐れのない場所でうそっぱちなコミュニケーションスキルを封印し、自分の感情を尊重する練習を積んだのだ。

嫌なやつ?嫌なやつで何が悪い。

■自分の武器を振りかざさない

復帰にあたり、もう一度わたしが休職する直接的要因となった事件を思い返した。
上司が「俺ひとりでやる」といってた割には提案するものすべてがうまくいかず、「いそがしいからあとは任せる」とサイトリリース1ヶ月を切って放り出されたプロジェクト。サイトのプラットフォームの選定すらできていないのに、あと二週間後の記念日にはサイトリリースしたい、なんとかなるさ、といってくる頭のおかしいプロジェクト。
投げ出した割にはどなりつけ、俺のいう通りにしろだの、勝手にしろだの指示が曖昧な上司。「ふざけんな、絶対にやってやる」と反骨精神むきだしにしたけれど、カラダがそんなわたしに真っ向から反旗を翻してきた。

今思い返すと、あの仕事はやったら完全に負けだった

わたしの反骨精神は何度もわたしを助け、成長を促してくれた。
でもやらなくていい負け戦だと思ったらわたしは喜んでこの武器をしまい、とんずらする。

■自分の体の声を信じる

長いこと「自分は人よりタフだ」という自信からカラダの声を無視しつづけてきた。

今回ようやくカラダが発信するメッセージに気づかされた。
「ここまでやらないと気づかないのかよっ」ってカラダが本気で怒ってくれた。本気で心配してくれてありがとう、わたしのカラダ。

ひとつ言えるのは、間違いなく心より体のほうが正直だ。
心はいくらでも嘘がつける。平気で自分を騙すことができる。

でも体は嘘がつけない。
体は必ず心に反応する。その小さい反応を見逃さないよう心がけた。

体が重ければいつまでも寝る。途中でおきても全然いい。
鈍さを感じたら運動をする。散歩もいい。日の光がいい。
こわばっていたら風呂に浸かる。極楽極楽♪とつぶやくのもいい。
不愉快な言動に体の萎縮を感じたら「いやだ」という。

体のサインをきき、信じることができたら、結果それがおのずと自分を信じることになるように思う。

■自分を抱きしめる

体は心より正直だ。だからこそ体のメンテナンスが大事なのだ。

昔、とある人が言っていた。

「心はおかあさんで体は子どもです」

おかあさんは強いからどんなに子どもが泣いても「まだ大丈夫」「もっとがんばれるでしょ」と子どもに振り返ることもなく前を向いて歩いていってしまう。子どもは転んで傷だらけになってもお母さんが大好きだから一生懸命ついていく。
でもおかあさん、ちゃんと立ち止まって振り返って子どものことをしっかり見てあげて。傷をいやし、しっかり抱きしめて。

そんな話だった。

幼稚園のころ道端ですっころんだ。でもお母さんは気づかずに歩いていく。気づいてもらえないのがさみしくて、膝小僧と鼻から血をたらしながら一生懸命お母さんの背中をおいかけていた自分を思い出した。

今回しっかり自分のカラダに目を向けた。しっかり休み、運動し、心を整える時間をもった。
※心をととのえる:旅、自転車、呼吸の意識、風呂、など

小さいことでいい。
指先の小さいアカギレに絆創膏を貼ってあげるのもいい。
かさついたすねや腕にクリームを塗るでもいい。
シワのめだってきた顔を手でそっとホールドするのでもいい。
そして抱きしめる。
ひとに抱きしめてもらうのもいい。自分で抱きしめるのもいい。
体という子どもがほっとしているのが伝わってくる。

いつも見守ってくれる富士山

本日をもって休職という名のストライキを終了します。

復帰目前で乱れまくる気持ちをnoteに書き殴っていたら落ち着きました。
明日から無事出社できそうです。

読みにきてくださった方、ありがとうございました。

そっとフォローしてくれた方、♡をつけてくれた方、わたしもこっそり読みにいってます。

コメントを寄せてくださった方、いつもあたたかい言葉に励まされました。

わたしの放浪はまだまだ続きます。たぶん死ぬまで続きます。続けます。

結局自分がさがしたレールなんてどこにもなかった。
自分が歩いてきた道がわたしにしかできない唯一無二の自慢の道だった。

だからわたしは今、休職したことをとてつもなく誇りに感じている。

noterのみなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。

※写真は奄美大島で出会ったクジラさんたち


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