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自己肯定と自己信頼と自己確信

休職中にやって良かったことのひとつは、「文章教室」に通ったことだ(通ったことの成果がここのnoteに表れているか否かは別の話)。
今週締切だった最終課題の制作物を提出し、半年におよぶ学校が終わった。

授業は毎週1回。内容は文章の構成方法だったり校閲・校正のしかた、webライティングのテクニック、アクセス分析、インフォグラフィックに自己文体の研究まで多岐にわたる。特に一番よかったのが、「文体の研究」だった。

文章を綴るということ

毎回テーマに沿って1500字程度の文章を書く。テーマはあれど書き方もやり方も表現方法も自由。そして同じテーマでも受講生が100人いれば(そんなにいないけど)100通りの表現方法があって、「そうきたかー!」と思わずうなる作品もあり、どれもこれも面白かった。

文章にはそのひとの哲学や生き様、パーソナリティが如実に表れる。「ひとは見かけによらず」で、対面で会ったときは、うーん、って思ったのに、文章を読んでみたら「思ったより素敵なひとだな」って思えたりする。
 
このnoteも、誰一人として姿形をみたこともないひとたちの作品の集合体だけど、自分を表現するために選び出した言葉を丁寧に紡いだ文体にはその人となりが明瞭に浮かび上がる。
 
自分の気持ちを素直に表現している心優しいひと。
面白おかしく書いてみせているけどそこに思いやりがにじみ出てるひと。
理知的でロジカルだけどそれは愛の裏返しだなと思わせるひと。
 
読んだ文章がためになるならない以前に、ただただ、その文体に惚れてしまう。それは魂レベルで恋してる、といっても過言ではない気がする。

話を戻す。
授業のなかでとてつもなく心に響いたことばがある。それは「自己信頼感」という言葉だった。自己肯定でも自己確信でもなく、自己信頼。

文章で表現するということ。それは自分との対峙でもある。そこには正解も模範解答もない。つねに迷いながらの作業になる。授業のなかにも、文章に迷いが表れていてどっちとも取れない不安定な表現がみられる作品がいくつもあった。

でもそれでは人に自分の考えを伝えられない。書いて発信するということはその文章に自分を乗せて飛び立たせるということ。だから迷いを吹っ切って書き切らなければならない。その書きあげるために必要な最後のスパイスが自己信頼感だ。

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自己肯定感

わたしは割と自己肯定感が低めなんだろうなと思っている。しかも体力もある。だからつい全てに全力投球してひとの2倍も3倍もやってしまう(らしい)。

それくらいしないとスタンダードになれないと思っている節があるからだ。
日本の女性は世界的にみても自己肯定感が低いということは昔読んだ『LEAN IN』(日本経済新聞出版)という書籍のなかにも記載されていたので、そう感じてしまうのは概ね思い込みでもなかろう。

しかし自己肯定感をあげるってなかなかハードルが高い。
自己肯定感という言葉にはなにかジャッジメントの要素が感じられるからだ。自分を肯定するか否定するか。つまりYes or No の二択しかない。保留もできない。
Yes!と言い切るには「えいやっ」と自分でジャッジし言い聞かせるパワーが必要なのだ。それとどこか最終的には他人との関係性のなかで成立する言葉のような気がする。

自己信頼感

それと比べてみると、自己信頼感は少なくとも二択問題ではない。そこには否定も肯定もない。だからどちらかに決めたら、というジャッジを迫られることもない。

信頼という言葉には、なんとなく内面から生まれ出る、無償の愛のようなモノを感じる。愛という表現が正しいかどうかはわからないけれど、もっとソフトに包み込んでくれるような慈しみを感じるのだ。自分を信頼するのに、ジャッジも他者も必要ない。濃い薄いの濃度の違いはあるかもしれないけれど自己完結できるのだ。

もしかしたら自己信頼感が高まって初めて自己肯定ができるんじゃないだろうか。
授業で聞いた「自己信頼感」がわたしに深く深く突き刺さったのは、きっと
「誰がなんと言おうとわたしはこう思ったのよ」を書き切ることが自己信頼感なんだよ、もうあなた、できてるでしょ、と言われたような気がしたからなのかもしれない。

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自己確信

似たようなワードで「自己確信」もある。でも思い悩むひとに伝える言葉としてあまり使われないのは、なんとなくその言葉には持って生まれついた要素、先天性を感じるからかもしれない。

ググってみたら、自己確信はストレングスファインダーの資質のひとつとして使われている言葉だった。
何年か前に諸事情で受けたときの結果には、この「自己確信」という資質がはいっていた。けれど今年の春先に自主的に受けた時は「自己確信」が入ってなかった。
休職から約1年。あのとき衰えていたのは自己確信だったのかな。

まあ、小難しそうに分析してみたところで、結局言わんとしていることはただひとつ、「Love yourself -自分を好きになれ-」のひとことに尽きる。
8月最後の今日、なんとなくそんなことを考えた。

※写真は8月の空


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