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キャリアを考える

その日の夕方、本社ビル5階にあったカフェスペースで待ち合わせていた若手女性社員のアイちゃん(イニシャルが I )は、愛想のひとつもふりまかず、見るからにクサった顔であらわれた。

女性活躍支援制度

2012年のことだ。希望して行った国際部門が解体され、わたしは国内の某部門へ異動したばかりだった。今までのキャリアから考えると、厳しいことで有名だった別の部門のほうが向いていた。

けれど当時の上司はおそらくよかれと思って、わたしの意向をきくこともなく厳しくない部門へわたしを送り込んだ。
新しい分野ではあったけれど、やっぱりその業務は3ヶ月で飽きた。
急速にやる気を失っていたその年、わたしは全社をあげて取り組みが始まっていた「女性活躍支援制度」の推進メンバーに選ばれた。

暇なのが見抜かれたわけではない(と思う)。そもそもの女性社員数が圧倒的に少ないので、オトナ♡の女性社員にはほぼその役割がまわってくるわけだが、たまたま制度の立ち上げの段階でそのお鉢がまわってきた。

2日間の合宿を含む長期カリキュラムでメンター&コーチングの基本的なメソッドを学び、自分の所属する部門のメンター役として若手女性社員のロールモデルとなり、キャリアを導くというのが会社の狙いだ。

ロールモデルという考え方そのものが女性に向いているのか?という疑問もあるけど、つまらない仕事ばかりでヒマもやる気も持て余していたわたしは、その研修で初めて知ったコーチングとかメンタリングという領域にはげしく魅了され、前のめりで取り組んだ。

キャリアか休職か

研修で久々に血となり骨となる学びを得たわたしは、その学びの成果を発揮すべく、さっそく自部門の若手女性社員たちとメンタリングを行う企画をたてた。
目的は、まずは制度を周知し体験してもらうこと、また男性の上司や同僚に言えず困っていることはないか、の実態調査がメインだった。
(注:若手のキャリアについて考える、はごっそり抜け落ちている)

そこでわたしはアイちゃんと出会う。

今にして思えば、面識のない相手になにか困りごとがあったら相談しろ、と相談を無理強いするのも無理があったが、わたしは自己紹介をかねながらアイちゃんとお茶をすることにした。

アイちゃんは面倒くさそうにしていたけれど、初対面だったことが逆に功を奏したのか、事業部にはびこる風習や上司の部下への態度などの実態とともに、体重が10キロも落ちてつらい、と自分の気持ちも話してくれるようになった。

それは想像していた以上によくない内容だった(詳細は割愛)。

憤慨したわたしはもう研修とか女性活躍支援とかどうでもよくなってしまい、彼女にいった。

「そんなの我慢することじゃない。はたらくことが全てじゃない。
逃げるが勝ちって考えていいんだよ。
会社なんかやめちまえ、とは言わないけど、休んじゃえ」
というようなことを言ったと思う。

面談を終えたその夜、アイちゃんはわたしに長い長いメールを送ってきてくれた。

『正直、また名ばかりの制度につきあわされる、と面倒くさかった。
でも自分の話を親身にきいてくれるひとがこの部門にもいるのかと思ったらうれしかった。
そして休むって考え方を知ることができてよかった』
とかいう内容だったと思う。
『あ、体重が10キロ落ちたというのは、ちょっと大袈裟にいいました』
そんなことまで正直につけ加えて書いてあった。
その翌日、彼女は自ら産業医面談の予約をとり、休職した。

人伝てに彼女が休職したことを知ったのは数日後のことだった。
わたしは愕然としてしまった。

あのときわたしは、彼女のキャリアプランなんてこれっぽっちも考えていなかった。
その場の勢いでわたしは軽々しく
「休んだっていいんだよ」
といって休職をそそのかしてしまったのだ。
取り返しのつかないことをしてしまった、と後悔の念にかられ、彼女が休んでいる間も幾度となくどうしているかな、と思い出していた。

2年たって復帰した彼女はわざわざ挨拶にきてくれたが、復帰後の部署は彼女の履歴と照合して、果たしてふさわしいのかと思うような部署だった。
本人の希望も考慮したという話だったと思うけれど、わたしはなんとなく彼女に合わせる顔がなく、積極的に声をかけることができなくなっていた(勤務しているビルが違うという物理的な距離もあった)。

なさけは人のためならず

そして昨年、ひとに休職をすすめて後悔していたわたし自身が休職することになった。

電話で「もう仕事したくない」と泣きだしたわたしに
「わかりました、たまこさん。会社を休みましょう」

はっきりと、でも優しく言ってくれたチームメンバー。それがほかでもないアイちゃんだ。

休職の1年前に偶然同じチームになり、一緒に働くことになったアイちゃん。
2年間の休職が彼女のキャリアに大きく響いていたのは事実で、ほかの同期から大幅な遅れをとっていた。
彼女と再び顔をあわせることになったわたしは彼女に詫びた。

ずっと等級をあげてもらえず、同期と比べて給料も全然あがらない。それでもあのとき休むという方法を教えてくれたことには感謝している、と彼女はいってくれた。

今アイちゃんは相変わらず無愛想だけど元気に淡々とはたらいている。

今の部署の仕事は彼女にあっていたようで、目をみはるような成長を遂げている。自分のキャリアのイメージもできたみたいで、「昔の自分なら考えられない」と言いながら仕事に役立つ勉強にも自ら取り組んでいる


キャリアプランを立てることはたしかに大事なことだ。
でもよかれと思ってしたことが相手にとってもよいとは限らない。
そして当然計画通りにすすむものでもない。
だからこそ、それ以上に今この瞬間、そのひとにとって何が大切なのか、自分にとって何が大切なのか、をちゃんと見極めることのほうがずっとずっと重要だ。

労働社会で肥大化してきた「キャリアプラン」という考え方にとらわれすぎると、そういうのを見落としてしまいかねない。

悩みや迷いはつきないけれど、良くても悪くても納得して判断することを重ねていけば、未来のわたしは今のわたしに文句を言うことはないだろう。

※写真は愛宕山神社の「出世の階段」

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