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#951 「没理想」の由来とは!?

さて、今日から、没理想論争の逍遥サイドの最終回に突入しますよ!逍遥が軍記物仕立てにした没理想論争の批評を立て続けに読みたいがために、最後まで後回しにしていた『早稲田文学』第13号に掲載された「没理想の由来」を、今日から読んでいきますよ!

詩文の陣頭に幟を樹てゝ、我れはシェークスピアの為人と、その本来の面目とを、看破して餘蘊無し、と揚言せる者、その尤[ケヤ]けくすぐれたるきはのみを数ふるも、尚彼の春秋戦国の、覇者の數にも越えつべし。さばかり、数多き檄文の墨、いまだ乾きたりと見えざる間[マ]に、我れこう眞に彼れを知り得たれ、と宣言する者、忽ちその背後より接踵してあらはる。其の状[サマ]、形而上論の起伏興廃して、遠くは印度、希臘の古へより、近くは英、佛、獨の今に至りて、尚且窮まらざるに相似たり。予は後の論者と前の論者との間に、必ずしも大なる是非の優劣ありとも断ぜざれば、已に看得たりといふ古今の碩学と批評家とを、必ずしも誤れりといふことを得ず。予は只千万の異なる解釋を容れて餘融ある大宇宙と、此の大宇宙に似たるシェークスピアとを甚だ偉[オオイ]なりとながむるのみ。行末は知らず、今日までの経験によれば、シェークスピアは造化と共に一大未詳なり、一大神秘なり。「わが摸倣しがたきシェークスピアは、厳格なる批評家の全族が、躓きまろぶ障石なり」とは、二百年餘以前に、ジョセフ、アヂソンがいへる所なれど、此の語、着眼の點を殊にして用ふれば、今もなほ十分の力あるべし。

イギリスの文学者・ジョゼフ・アディソン(1672-1719)に関しては、逍遥の『当世書生気質』で、小町田くんと守山くんとの会話のなかでも登場します。詳しくは#095を読んでみてくださいね!ちなみに、2020年に、第10000号の出版を達成した、イギリスで現存する世界最古の週刊誌『スペクテイター』(創刊号は1828年7月6日)の名は、アディソンとリチャード・スティール(1672-1729)が1711年に創刊した日刊紙「スペクテイター」の名からいただいたものです。

希臘の詩式を傳へたりし、佛蘭西文学の劇律によりで、三同の則を破れるシェークスピアを非議せし、王政復古期の妄夢破れて後は、ヂルテールのみまがりて後は、我れまた、かりそめにもシェークスピアを誚りて、酔ひじれたる蠻[エビス]といひし者あるを聞かず。サミュエル、ジョンソンの頑[カタクナ]なるだに、能く時尚の歪みたる標準を脱して、是非を自然の法廰に訴へ、此の大詩人の作を、不壊金剛[フエコンゴウ]の巌[イワオ]に比してこのかた、ひとり英国のみに就きて言も、カベムル、スチーヴンス、マロン等にはじまりて、ファルネス、ハドソン等に至れる、校訂註釋の諸名家は、いふに及ばず、コールリッジ、ハズリット以下、ドウデンに至る批評家、微妙を閘明し、幽玄を発揮し、シェークスピアがありとある技倆の妙、着想の美は、殆ど指摘し得て餘蘊無からんとす。

「三同の則」は、「三一致の法則」とも呼ばれ、17世紀のフランスの古典劇の作劇法の規範とされた演劇理論です。劇中の時間で一日のうちに(時の単一)、ひとつの場所で(場の単一)、ひとつの行為だけで(筋の単一)完結するべきであるという劇作上の制約のことです。アリストテレスの「詩学」の悲劇論の誤用からはじまったもので、アリストテレスが強調したのは「筋の単一」だけです。

「カベムル」は、おそらく「カムベル」の誤字なのではないでしょうか。「カムベル」なら、スコットランドの詩人トマス・キャンベル(1777-1844)のことかと思われます。#044でちょっとだけ紹介した、外山正一(1848-1900)、矢田部良吉(1851-1899)、井上哲次郎(1856-1944)の詩集『新体詩抄』は1882(明治15)年に刊行されますが、その中の訳詩のひとつ『カムプベル氏英国海軍の詩』は、矢田部良吉がキャンベルの「Ye Mariners of England, a Naval Ode」(1800)を翻訳したものです。明治初期は、キャンベルを「カムプベル」や「カムベル」と表記し、1879(明治12)年に刊行された吉田五十穂訳纂『伊呂波分 西洋人名字引』には「カムベル(トーマス)ハ蘇格蘭[スコットランド]ノ有名ナル詩家ナリ」と書かれています。キャンベルは1876年に『The dramatic works of William Shakespeare』という評伝を出版しています。

「スチーヴンス」は、シェークスピア研究者のジョージ・スティーヴンズ(1736-1800)のことかと思われます。スティーヴンズはサミュエル・ジョンソン(1709-1784)とともに1765年に『The Plays of William Shakespeare』を出版します。

エドモンド・マローン(1741-1812)に関しては#665でちょっとだけ紹介しています。

「ファルネス」は、アメリカのシェークスピア学者のホレス・ハワード・ファルネス(1833-1912)のことかと思われます。フィラデルフィアに本社を置く出版社J・B・リッピンコットからThe Variorum Edition of Shakespeare」という名で数多くのシェークスピア作品を翻訳出版しました。

「ハドソン」に関しては#664で、「コールリッジ」に関しては#663で、「ハズリット」に関しては#665でちょっとだけ紹介しています。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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