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#665 シェークスピアも近松も自然そのままである!

それでは今日も坪内逍遥の「シェークスピア脚本評註緒言」を読んでいきたいと思います。

当年の予が解によれば、『天の網島』の理想は、『ロミオ・エンド・ジュリエット』と兄弟の間にありて、更に可笑しき『油地獄』の解は、ほと/\或理想家が釈したる『テムペスト』の理想をも凌がんとせり。勿論、こは理想の上のみの解なり。美術家としての技倆の上には、其のころの予とても、二者を同じさまには見ざりしなり。これによりて案ずるに、近松もしエリザベス時代に生れて、英文にて世話物を書き残し、ニコラス・ロー出でて、そが伝を調べ、ジョンスン、ポープ出でて、そが作を再版し、解釈し、称讃し、コールリッヂ、ハズリット出でて、批判し、激賞し、マロン、ワーバートンらいでて評註し、近松研究会成りて、称讃し、アボット、シュミットらいでて、文典、字彙を作り、レッシング、ゲーテいでて、更に尊く、仏に、米に、魯に、近松をもてはやすもの増加するに至りなば、たとひシェークスピヤに及ばずとするも、是等多人数の功力にても我が国の浄瑠璃作者にて終らんよりは、はるかにまさりたる位置に上りつらんかし。其の故は、近松の世話物も、シェークスピヤの作に似て、頗る自然に肖たればなり。斯くいへばとて、シェークスピヤを貶して、浄瑠璃作者の亜流なりといふにはあらず。彼が石は平凡の石の外ならずといふにあらず。非凡の宝石たることは争ふ可からざる事実なれども、只〻其の値段付けは、人々の心々なれば、古人の理解を聞きて正に其の通りと思ふがその愚かなるをいふのみ。

ずいぶん熱がこもってますね!

シェークスピアの作品は理想が優れているのではない。近松の作品は自然そのままである。シェークスピアも同じで、「頗る自然に肖たればなり」。自然そのままに見えるのは「其の作に理想の見えざるが故にあらぬか。これのみの理由によりて理想高大なりといふは信[ウ]けがたし」。

シェイクスピアの全集版テクストは1705年あたりまでは分厚く重い1巻本でしたが、1709年に、持ち運びが便利な8つ折り判6巻本で刊行したのは、イギリスの劇作家であるニコラス・ロウ(1674-1718)です。シェイクスピアに関する広範な伝記をはじめて編集し、これによって伝記的情報が一般読者にも知られるようになりました。ロウの全集に次いで2番目となる全集が、イギリスの詩人アレクサンダー・ポープ(1688-1744)が1725年に出した、4つ折り判6巻本からなる全集です。

イギリスの批評家ウィリアム・ヘイズリット(1778-1830)は『Lectures on the dramatic literature of the age of Elizabeth』(1820)でシェイクスピアについて論じ、アイルランドのシェイクスピア学者のエドモンド・マローン(1741-1812)は1778年にシェイクスピアの戯曲の暫定的な年表を構築した最初の学者であり、イギリスの文芸評論家のウィリアム・ウォーバートン(1698-1779)は、アレクサンダー・ポープと一緒にシェイクスピア作品の編集に取り組みました。

エドウィン・アボット(1838-1926)が1870年に出版した『シェイクスピア文法』は、英語文献学の分野に多大な貢献をし、ドイツの文献学者のアレクサンダー・シュミット(1816-1887)は、『シェイクスピア辞書』(1874)を出版しました。

ドイツの詩人であるゴットホルト・エフライム・レッシング(1729-1781)は、『ハンブルク演劇論』(1767-1769)で、シェイクスピアを最も優れたアリストテレスに基づく詩人と見倣し、一方、ドイツの詩人であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)は、論文「限りなきシャイクスピア」(1826)で、シェイクスピアは文学史では欠かせない人物であるが、演劇史には付随的に登場するに過ぎないと主張しています。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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