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#664 シェークスピアの作は無心無情の鏡の如し

それでは今日も坪内逍遥の「シェークスピア脚本評註緒言」を読んでいきたいと思います。

案ずるにシェークスピヤは我が近松門左衛門の大いなるものか。指頭大の明玉[メイギョク]と拳大の明玉、二者の差は度にありて質にはあらざらん。たとひ其の質にも差等ありとするも、双つながら自然の宝石にして、人間の作為せしものにあらざらん。自然の宝石なればこそ、能く自然の霊光を放ちて、野人をも駭[オドロ]かし、婦女子をも駭かし、卞和[ベンカ]をも駭かすなるべけれ、しかしながら、之れをもてあがめて城にも代ふべしと価づけたるは、人間の好事、贅沢がしたことにて、元をたゞせば徒の奇石なり。

卞和(生没年不詳)は、春秋時代前期の楚に住んでいたとされる男で、『韓非子』和氏篇に、法術の士の孤独を説明する説話で登場します。

あるとき卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の王に献上します。しかし王が石を鑑定させると、ただの石ころだと言ったため、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とされます。王が死に、王の弟が次の王に即位すると、卞和は再び原石を献上します。しかし結果は同じで、卞和を嘘つきとして今度は右足を切り落とされます。弟の王が死ぬと、弟の子が王となります。卞和は三日三晩嘆き悲しみます。王は人を遣わし、その理由を問うと、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、嘘つきと言われた事が悲しいと答えます。そこで王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となりました。王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝としました。

色々に値上げするは人間の好尚が嵩じてのわざなれば、或意味にていはゞ、買ひ冠なること勿論なるべし。更に喩へて言へば、シェークスピヤの作は無心無情の鏡の如し。其の作には何人の面も映るなり。明かにいへば、如何なる読者の理想も其の影を其の中に見出だすことを得べし。

シェークスピアの作は無心無情の鏡の如し!

されば、ゲルヸーナスも、其の理想をシェークスピアの作中に発見し、ウルリーチーも、其の理想を同じ作中に発見し、バックニルも、モールトンも、ハドスンも、ダウデンも、各〻我が影をかしこに見いだし、シェークスピアばかり高尚なる理想を詩中に描けるは絶えて無し、とめでくつがへりて驚歎するなれ。

ドイツの文学・政治史家のゲオルク・ゴットフリート・ゲルヴィヌス(1805-1871)は1849年から1852年の間を中心にシェイクスピアに関する作品を出版し、ドイツの哲学者のヘルマン・ウルリチ(1806-1884)は、文学批評の領域で、シェイクスピアの演劇芸術に関する論文を発表します。

イギリスの精神科医であるジョン・チャールズ・バックニル(1817-1897)は、精神科医の立場から『シェークスピアの心理学』(1859)や『シェークスピアの医学的知識』(1860)などを出版し、イギリスの文芸批評家のリチャード・グリーン・モールトン(1849-1924)は『劇作家としてのシェークスピア』(1885)を出版し、アメリカの文芸評論家であるヘンリー・ノーマン・ハドソン(1814-1886)は『シェイクスピアに関する講義』(1848)を出版します。

げにや、シェークスピヤは空前絶後の大詩人ならん。其の造化に似て際涯無く、其の大洋に似て広く深く、其底知らぬ湖の如く、普く衆理想を容るゝ所は、まことに空前絶後なるべし。しかしながら、斯くの如きは、其の作に理想の見えざるが故にあらぬか。これのみの理由によりて理想高大なりといふは信けがたし。予ひそかに此の点を疑ひ、嘗て近松の世話物を取りて、をさ/\先輩の批評法に倣ひて、分析解剖を試みしに『天の網島』、『油地獄』さては『恋飛脚』、『伊達染手綱』など、いづれも予が小理想を包容して余れる所尚ほ綽々[シャクシャク]たり。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!




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