記事一覧
136.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第18節「東映動画の躍進 ②フジテレビ巨大ロボットアニメブーム」 1972年12月、フジテレビ日曜19時枠にて放映した永井豪とダイナミックプロ原作の『マジンガーZ』(1972/12/3~1974/9/1 全92話)は大ヒットし、巨大ロボットアニメ人気に火が付きました。
1974年4月からフジ木曜19時枠で始まった永井豪・石川賢とダイナミックプロによる『ゲッターロボ』(1974/4/4~1975/
135.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第18節「東映動画の躍進 ①フジテレビ巨大ロボットアニメブーム創出」 1959年3月から放送を開始したフジテレビは、1963年、日本初の本格的テレビアニメシリーズ、手塚治虫原作『鉄腕アトム』(1963/1/1~1966/12/31)を放映します。
その後も『鉄人28号』(1963/10/20~1965/5/27)などアニメヒット作を生み出し、「母と子のフジテレビ」のキャッチフレーズを掲げて子供向
134.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第17節「東映子供向けドラマ 東映特撮 東京12CH編」 1964年4月に関東地区にて放送を開始した東京12チャンネル(現テレビ東京)は、日本科学技術振興財団が立ち上げた通信制の授業を放送することを目的に開局した「科学テレビ」と呼ばれる放送局でした。
1967年11月から20%の割合で娯楽番組も放送できるようになります。
東映も、月曜21時からの1時間枠用に、東映東京制作所(制作所)で女性アク
133.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第16節「東映子供向けドラマ 東映テレビプロ特撮 NET・ANB編」 1972年7月、NET系土曜19時30分枠の大ヒット番組『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/2/10 全98話)に続く20時枠で、等身大ロボット特撮『人造人間キカイダー』の放映が始まります。
前枠の『仮面ライダー』は東映東京制作所の生田スタジオにての制作ですが、『人造人間キカイダー』は東映東京撮影所(東撮)にある東映
131.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第15節「東映子供向けドラマ 生田スタジオ特撮 前編」 1971年、東映東京制作所(制作所)関連事業室長の内田有作は、川崎市の郊外にあった細山スタジオを借り「東映生田スタジオ」(生田スタジオ)を設立しました。
そしてこのバラック建ての倉庫のような撮影所から、日本のテレビ史に残る大ヒットシリーズ「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズの先駆けとなった『秘密戦隊ゴレンジャー』が誕生します。
ま
130.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第14節「東映子供向けドラマ 昭和ライダーシリーズ 後編」2.第2期MBS「仮面ライダー」シリーズ(東映東京制作所・東映映像制作)
東映東京制作所(制作所)の特撮ドラマ『宇宙鉄人キョーダイン』(1976/4/2~1977/3/11 全48話)、『大鉄人17』(1977/3/18~11/11 全35話)と続いて放映されたMBS系金曜19時枠は、その後アニメ番組が放映されます。
『仮面ライダース
129.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第14節「東映子供向けドラマ 昭和ライダーシリーズ 前編」1.第1期MBS「仮面ライダーシリーズ」(東映東京制作所・生田スタジオ)
現在、テレビ朝日系にて放送中の『仮面ライダーガッチャード』はテレビ朝日と共に製作しています。
これまで50年以上続く「仮面ライダーシリーズ」は、当初、東映と大阪の毎日放送(MBS)との共同製作で始まりました。
① 『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/
128.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第13節「東映子供向けドラマ NET・テレ朝金曜19時30分枠編」 東映は、1959年2月に日本教育テレビ(NET)を開局する前、テレビドラマ制作のために東映テレビ・プロダクション(旧・テレビプロ)を設立し、京都撮影所(京撮)にて『風小僧』、東京撮影所(東撮)にて『捜査本部』を制作。『風小僧』は1958年12月2日から西日本放送、『捜査本部』は12月27日から東海テレビにて初めてテレビ放映されまし
もっとみる127.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第12節「テレビ事業拡大 東映テレビプロ刑事ドラマ後編」 1980年、東映東京撮影所(東撮)にあるテレビドラマ制作会社東映テレビ・プロダクション(テレビプロ)では、1977年にテレビ朝日(ANB)で始まった『特捜最前線』が高視聴率を維持、好評のまま続いていました。
また、1965年に同じく東撮内に設立されたテレビドラマ制作会社東映東京制作所でも、1975年からTBS系にて始まった『Gメン’75』
125.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第11節「東映 一般洋画配給進出 後編」4.東映ユニバースフィルム『隣の女』『迷プレ・珍プレ大百科‼アメリカン ブルーパーズ』『カルメン』大ヒット
東映洋画配給部が『人類創生』の不入りで洋画大作の輸入配給の断念を決定づけた1982年6月。
東映ユニバースフィルムは、セントラル・アーツが製作した『世界の空軍 ATRFORCE’82 ドッグファイト』(河辺和夫監督)を配給公開します。
この作品
124.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第11節「東映 一般洋画配給進出 前編」1.東映洋画配給部、洋画大作配給進出
1980年1月、東映社長岡田茂は大手興行会社東急レクリエーションの社長に就任します。
これによって東映は、松竹と共に洋画系のSTチェーンの一翼を担う東急レクリエーションとより密接な関係を構築することが可能となり、ここから洋画配給部は一般洋画配給への進出に乗り出しました。
11月、東映洋画配給部はジャン・ポール・
123.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第10節「1980年代東映配給香港映画」1.東映配給ジャッキー・チェン主演映画大ヒット
1970年代中盤、東映は香港ゴールデン・ハーベスト(G・H)社製作のブルース・リー主演映画を配給し、日本におけるカンフー映画ブームの一翼を担いました。
その後東映はカンフー映画の輸入ばかりでなく、千葉真一主演空手映画などの輸出を通じ、香港映画界と密接な関係を築きます。
そして、1970年代の終わりに新た
121.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ③仲村トオル」7.セントラル・アーツ「仲村トオル」大活躍
1986年5月、正月映画『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督)の大ヒットを受け、那須真知子脚本、那須博之監督、仲村トオル、清水宏次朗、中山美穂、宮崎ますみ(萬純)など同じメンバーが出演する第2作『ビー・バップ・ハイスクール 与太郎哀歌』の製作が発表されます。
公開に先立ち