131.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第15節「東映子供向けドラマ 生田スタジオ特撮 前編」
1971年、東映東京制作所(制作所)関連事業室長の内田有作は、川崎市の郊外にあった細山スタジオを借り「東映生田スタジオ」(生田スタジオ)を設立しました。
そしてこのバラック建ての倉庫のような撮影所から、日本のテレビ史に残る大ヒットシリーズ「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズの先駆けとなった『秘密戦隊ゴレンジャー』が誕生します。
また二大ヒーローシリーズの他にも、東映本社テレビ部のプロデューサー平山亨は、1978年の閉鎖まで記憶に残る数多くの名作を生み出してきました。
今節は「仮面ライダー」「戦隊」シリーズ以外の「生田スタジオ」で制作された思い出深い作品を時代順に紹介いたします。
① ABC・TBS系日曜18時『好き! すき‼ 魔女先生』(1971/10/3~1972/3/26 全26話)
1971年、「仮面ライダー」シリーズが大ヒットする中、朝日放送(ABC)と共同製作した『好き! すき‼ 魔女先生』の放映が、10月からABC・TBS系日曜18時枠にて始まりました。
この作品は、石ノ森章太郎が1968年に少女向け週刊誌『ティーンルック』(主婦と生活社)に連載した「千の目先生」を原作として作られたファンタジードラマで、メイン脚本は辻真先、メイン監督は山田稔が担当。ヒロイン月ひかる役に菊容子が主演しています。
菊が演じたかぐや姫先生は、子供たちの周りに起こる身近な事件を、左手の中指にはめた指輪ムーンライトリングに向かって掛け声をかけることで生じる超能力「ムーンライトパワー」を使って解決しました。
第14話からは、アンドロ仮面に変身し、子供たちを襲う吸血怪人クモンデスと戦います。
視聴率は10%前半で検討しましたが、より高い視聴率を目指した平山の路線変更に不満を抱いた朝日放送は26話で放送終了となりました。
② YTV・NTV系日曜19時30分『超人バロム・1』(1972/4/2~11/26 全35話)
大阪の読売テレビ(YTV)は講談社からの提案を受け、1970年に『週刊ぼくらマガジン』に連載していたさいとう・たかを作「バロム・1」のテレビ化を検討。東映の渡辺亮徳との話し合いで、大ヒット中の『仮面ライダー』のような特撮ヒーロードラマとして製作し、平山亨が担当することに決まりました。
1972年4月、NTV系で『超人バロム・1』の放映が始まります。
猛と健太郎という二人の少年の友情パワーが一定の数値に達しないと変身できないという子供たちにとって身近な設定が受け、学校でバロムクロスという変身ポーズが流行しました。
悪の化身大魔人ドルゲが生み出すドルゲ魔人は、始めは海の生物や虫などがモチーフでしたが、第21話から人体の一部をモチーフにした設定となり人気が上昇して行きました。
しかしまもなく、ドイツ人のドルゲさんから子供がいじめられるとの抗議を受け、この事件がマスコミで大きく報道されてその対応に追われた事件も起こります。
この番組は『仮面ライダー』に対抗して健闘しましたが、全35話で終了しました。
③ MBS・NET系金曜19時『変身忍者嵐』(1972/4/7~1973/2/23 全47話)
『超人バロム・1』と同時期の1972年4月、『仮面ライダー』が大ヒット中のMBSにて、東映の平山が企画した特撮時代劇『変身忍者嵐』の放映が始まります。
平山は始め、京都撮影所(京撮)で撮影を考えていましたが、生田スタジオ制作『仮面ライダー』『超人バロム・1』や東京撮影所(東撮)にて『刑事くん』などを抱えていたこともあり、時代劇ではありましたが生田スタジオで制作することに決めました。
血車党の頭領血車魔神斎の片腕だった父、谷の鬼十が編み出した「人間変身の法」によって鷹の能力を持つ変身忍者嵐に変身するハヤテは、世の中を支配しようとする血車党の化身忍者との戦いに挑みます。
原作者石森章太郎と放送局毎日放送、メインライター伊上勝、ナレーター中江真司と『仮面ライダー』と同じ枠組みの『変身忍者嵐』はまさに仮面ライダーの時代劇版として作られました。
嵐は愛車サイクロンの代わりに忍馬ハヤブサオーに颯爽と登場します。
また、宣広社制作『隠密剣士』の霧の遁兵衛、東映京都テレビプロダクション制作『仮面の忍者 赤影』の白影など渋い忍者役で人気を博した牧冬吉も名張のタツマキ役で出演しました。
『変身忍者嵐』は、TBS系『ウルトラマンA』と同じ金曜19時枠でぶつかり、特に関東地区では視聴率的に苦戦します。
路線変更を行ったり、高見山、ファイティング原田、沢村忠、柳家金語楼、嵐寛寿郎などの有名人をゲスト出演させるなど様々なテコ入れ策を試みましたが、状況を打開できないまま終了しました。
④ NET系月曜19時30分『どっこい大作』(1973/1/8~1974/3/25 全62話)
当時、日本教育テレビ(NET)の月曜19時枠は、1963年のビーコック劇場から長年にわたって続く東映動画のアニメ枠で、1973年1月1日から『バビル二世(第1作)』(1973/1/1~ 9/24)が始まります。
1月8日、これに続く19時30分枠にて生田スタジオ制作『どっこい大作』がスタートしました。
主人公の田力大作役は『仮面の忍者 赤影』の青影役や『河童の三平 妖怪大作戦』の三平役で子供たちにおなじみの金子吉延が務めます。
中学を卒業して東京に出て来た大作が、第1部ではラーメン屋、第2部清掃会社、第3部ではパン屋を舞台に、相撲で鍛えた根性をバネに大人として成長して行く物語でした。
月曜の同じ時間帯はTBS系で『刑事くん』(桜木健一主演)を放映しているため、製作は東映ではなく、東映テレビ・プロ(TPP)のテロップ表記になっています。
主人公大作の「どっこい どっこい」の掛け声は人気でした。
⑤ フジ系木曜19時『ロボット刑事』(1973/4/5~9/27 全26話)
1973年4月、フジテレビ系では初めての東映子供向け特撮ドラマ『ロボット刑事』が木曜19時から放映されます。
番組の放映に先立って講談社『週刊少年マガジン』1973年第1号から石森章太郎の漫画連載がスタートしていました。
平山亨プロデューサーは『仮面ライダー』のメインライター伊上勝とテレビ企画を練り、漫画とは別ストーリーでロボット刑事Kが活躍します。
変身しないロボット刑事Kは、同僚の刑事芝大造(高品格)や新條強(千葉治郎)とともに犯罪シンジケートバドーが悪人たちにレンタルするロボットたちと戦いました。
高品は東映刑事ドラマのテイストで演じており、特撮ロボット刑事との組み合わせは面白い味がありましたが、半年で終了しました。
⑤ NET系火曜19時30分『イナズマン』(1973/10/2~1974/3/26 全25話)
1974年2月、来日したユリ・ゲラーは超能力者として日本で一大ブームを巻き起こしました。
それを遡る1973年10月、超能力をテーマにした石森章太郎原作特撮ヒーロー番組『イナズマン』の放映がNET系火曜19時30分から始まります。
『人造人間キカイダー』で主人公のジローで人気を得た伴大介(この番組では伴直弥に改名)が主役の渡五郎を演じ、超能力を持った少年少女の秘密組織少年同盟とともに、帝王バンバが作った悪の超能力集団新人類帝国ファントム軍団のミュータントたちと戦いました。
超能力が覚醒した五郎は「ゴーリキショーライ」の掛け声でサナギマン、その後「チョーリキショーライ」でイナズマン、と2段階の変身をします。
イナズマンの愛車ライジンゴーはバンダイの子会社ポピーから合金玩具として発売されヒットしました。
1974年3月には、「東映まんがまつり」の中で『飛び出す立体映画 イナズマン』(山田稔監督)が公開されます。
変身ヒーロー番組が数多く登場したことにより変身ブームは徐々に沈静化。『イナズマン』も視聴率向上を目指し、方向を転換して行きました。
⑥ NET系火曜19時30分『イナズマンF』(1974/4/9~9/24 全23話)
1974年3月で帝王バンバ率いるファントム軍団を倒し終了した『イナズマン』は、4月からタイトルが『イナズマンF』(イナズマンフラッシュ)に代わります。
『秘密戦隊ゴレンジャー』の上原正三がメインライターとなり、パワーアップしたイナズマンと新たな敵デスパー軍団との戦いが繰り広げられました。
この番組でイナズマンのマフラーがオレンジ色になり、ゼーバーという新たな武器が登場します。
デスパー軍団は、大超能力者カイゼル総統の指令の下、優れた超能力者を機械改造したロボット戦士(デスパー怪人)やデスパー兵士を使って日本列島の破壊を目指しました。
イナズマンとの死闘の末、カイゼル総統は倒されデスパー軍団は滅亡、日本に平和が戻ります。
この年、先述のユリ・ゲラーの来日で一大超能力旋風が興りました。
オイルショックの影響や『イナズマン』の特撮に経費がかかったことなどで生田スタジオの経営が悪化。『イナズマンF』の終了後の10月、所長の内田有作が辞任、東映を退職します。
テレビっ子の私は、今回の作品はすべて見ていました。
次回は、内田退任後の生田スタジオ作品をご紹介いたします。
TOP写真:「イナズマン2段変身」渡五郎、サナギマン、イナズマン ©石森プロ・東映