ティファニーブルー

ひたすら駄文を垂れ流す。物語はフィクションです。

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最近の記事

2023/07/21/晴れ・徹夜明け

夜を通り越して朝日を浴びると、へその上あたりから肩にかけてぐっと重くなるようになった。年のせいか、はたまた邪悪な暑さのせいなのか。よく晴れた朝日は、枯れかけている脳みそや澱んだ体を通る血液をすきとおしているようだ。日々の気づきも誰かから聞いた話も全部すきとおって必要なものだけが脳内で再生されていく。不思議と眠気はこないが、なぜだか酒が欲しくなり店で自分用にジントニックを作り、深呼吸をするように香りを鼻に運んでから、ゆっくりと肺から空気を抜いて一気に喉を通す。多少濃く作ったジン

    • 目が慣れたらひとまず

      気の抜けたコーラでも飲んで。というのがお作法なのだろう。音に揺れて、耳の奥を震わせ、その振動が首の後ろに到達する瞬間が好きだ。私は最近、物思いに耽ることはあってもそれを留めておかなくなった気がする。 最近、昔に比べて偽物が居ると感じることが減った。街を歩けば、インターネットを漂えば偽物ばかりだと感じていたことあった。それは、ファッションで、アクセサリーで、声で、身振り手振りで、感じる部分は多種多様だ。そんな感性がここ一年ほど薄らいでいる。 間違いなく一つ言えるのは、私が他者へ

      • Twitterから漏れた最近の話

        たまにダラダラと文字を連ねたくなることがある。まとまっていない考えを放出したいことがある。なぜそうしたいのか考えてみたが、今この瞬間の思考や迷いを決めつけておきたいからだと思う。人間は、特に若者はよく悩むし、よくクヨクヨする。強そうに見えるあの人も、何も考えてなさそうなあの子も意外と悩んでいるし、意外と葛藤している。そんな若者の一人だと自分も思う。だから、今この段階での感情を記録しておきたいのだと思う。 今、この部屋にはタバコと本とブルーノマーズが陽気な音楽を流している空間

        • 5月24日

          三日坊主なんて言葉があるが、それは続けようと思うからいけないのだ。続けなくては自分は怠惰な人間であると感じるから、三日坊主なんて消極的な言葉が出てくるのだ。ダイエットでも自炊でも勉強でもやりたい時にやればそれでいいのだと思う。例えば日記なら書きたい出来事や語りたいテーマがあるときに書けばいいのであって、書けない時や書く必要がないときはそもそも手を動かさなくてよい。 仕事はなかなかどうしてそういうわけにもいかないのだが、これもある程度は手を抜いて自分の機嫌を取ることに注力する

        2023/07/21/晴れ・徹夜明け

          5月23日

          今までも手書きで日記を書く習慣はあった。もう3年ほど前になるだろうか。あの頃の私は名古屋で浪人だかプー太郎なんだかよくわからないが、文字通りさすらっていた。あっちこっちに行って、色んな人に会って色んなものに触れてみた。大学生というわけでもなかったし、ほかの浪人生は誘える雰囲気ではなかったから一人で行動することが多かった。 その時の話はまたどこかでするとして、当時書いていた日記の内容はもう忘れてしまった。数年前の日記には気恥ずかしい内容もあっただろうが、日記において大切なのはた

          抜け落ちていく

          書きたい文章があり、綴りたい言葉があり、残しておきたい温度がある。それが私が生きていくうちに感じている何かである。いつもはその言葉たちは頭の片隅に残っていて、眠るまでの間であれば一日中引っ張り出してくることができる。正確には引っ張り出せたであるかもしれない。最近、正確に言うとここ数日は、感じたことや綴りたい言葉たちが薄っすらと浮かび上がってきても、すぐに靄がかかり、水に流されていくような感覚に襲われている。これが何を意味するのか分かるはずもないのだが、ただ単純に日々に忙殺され

          抜け落ちていく

          奔る

          気づいたら体が動いていた。気づいたら足が前に踏み出していた。自分の体は脳が制御しているはずなのに、明らかに感情が先走った行動に出ているのだと、風を切っている自分を自覚したときに悟った。何が自分をそうさせたのか、なぜ自分が合理的でない、現実的でない確率を想定して動いているのかわからなかった。確かに彼のことを考えていたことは事実だ。確かに彼の連絡を待っていて、そのタイミングで私の携帯の充電が切れたのも事実だ。そして、今日家を出るときの彼の顔が何故か覚悟を決めたような、ある意味で諦

          daradara

          感性が豊かというのは数字・知識を詰め込みすぎないフラットな状態だから成立している状態なのだと最近感じる。人間は程よく知見が浅いほうが感性は豊かになりえるかもしれないということだ。ふとそんなことを考えながら、昨日淹れたコーヒーをマグカップに移す。もう冷たくなった朝のコーヒーは苦みが際立って、目を覚ますにはぴったりなように思えた。ついでにタバコに火をつける。慣れたその所作に、自身の喫煙歴がそう短くないものになってきていることを気づかされる。寒い部屋ではあるが、暖房をつける気にはな

          昔のメモ書きが出てきたので写し書きする

          この前、街の呑み屋でに座っているのツレがナンパをした。らしい。というのも、どうやら上手くいったらしく、その女共の小集団を俺がいる喫煙所に連れてきた。女は3人が常にいて、入れ代わり立ち代わりで全体では8人くらいと顔を合わした。 その殆どは俺の横にいる男に好奇の目を向けながら、おそ、く吸い始めたばかりなのであろう細いタバコを吸っている。女がタバコを吸う姿は好きだが、それはあくまで吸い慣れている姿が好きなのであって、不慣れな喫煙を見ると後ろに男の影がチラつき鬱蒼とした気分になる。

          昔のメモ書きが出てきたので写し書きする

          断定と断罪とそれに伴う情報収集の大切さについて

          まずは、書き出しの部分についてはツイートでも触れたのでスクショを貼って茶を濁したいと思う。 上記について今回は思うことが最近多すぎてツイートに収まらない気がしてきたので、noteに書くことにする。それと、刺さる人が自分含め多すぎるため、余計な死者を出さないためにも、タイトルに惹かれ、長い文章だろうと読みたいと考えてくれる人に向けて書いたほうが私の気も紛れるだろうと今は考えている。これ以上前置きを長くすると、少し詩の要素が強くなってしまうため、さっそく本題に入る。 情報収集

          断定と断罪とそれに伴う情報収集の大切さについて

          森の奥で殺されると勘違いした話

          「今日の夜もひとっ走りいこうぜ。」 そんな言葉が横行するくらいには僕の地元と僕の青春時代は浅黒く汚れたものだった。”不良が見る空は灰色に見える”そんな言葉が似合う青春だった。 華やかな学園生活を送り、学友たちと勉強に励み、恋愛にいそしむ。そんな絵に描いたような学園生活とは無縁だった。むしろ正反対だったといってもいい。 そんな私が、唯一本気で死を覚悟した話をしようと思う。 その日はよく晴れている夏の日の昼下がりだった。 セミがうるさいのを背中で感じながら、携帯が鳴らす電話

          森の奥で殺されると勘違いした話

          久しぶりの職質

          ユウゲキタイノカワラですと彼は名乗ったが、遊撃隊の川原さんであるということを脳が知覚するまでに随分時間がかかったように思えた。やましい気持ちは毛ほどもないのだが、警察官に取り囲まれると額から汗が流れ落ちる感覚があった。ぼーっとバスを待っているこの男がプロの目には何かしらの点において怪しく写ったのだろう。 状況が久しぶりで笑ってしまいそうだったが、そこで愉快になっていては余計に疑われるんだろうと寡黙に渋い顔で対応していると”なにか危ないものとか、見せれないものもしかして持ってる

          I Feel Prettyという映画を見た!

          邦題:「アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング」※もしかするとネタバレを含むかもしれません 自信の無い人全てに見てほしい映画というキャッチコピーが付いてるらしいこの作品。スタイルは決して良くない、顔も造形美としては優れているわけではない女性が、自尊心とはなにかというものを理解するまでの過程を描いた映画だと感じた。 この作品で強烈に感じたのは、フェイクの自尊心とリアルな劣等感という対比。 そもそもリアルとフェイクの差は何だろうということを考えさせられた。そして、そ

          I Feel Prettyという映画を見た!

          大たわけ

          というかこれは独り言を永遠に続けるだけだから、なんてことはないというか、でもこれはこれでnoteを書くのとTwitterで書くのでは情報量のちがいからかわからんが、書きづらいなと思ってる。ラジオDJもお便りがなければ、番組中時間を持て余すだろうということだ。 というかだな、”森の奥で殺されると思った話”を二週間くらい前から書いてるわけだが、どうにもこうにも、にっちもさっちも、いかないというか固いというかつまらない校長の話を聞いてる時の感覚に文章を書いてる当の本人が陥ってしま

          あの日見た夢の断片。

          ある日、日々の業務から解放された私は何気なくテレビを見ていた。仕事終わりのお決まりのルーティンだった。鍵を所定の場所に置き、荷物をソファに投げ捨て、買い物袋から食材を取り出して冷蔵庫に入れる。洗練された仕事終わりのルーティンは今日一日がどれだけ壮絶なものだったかを物語る。 今日はシチューにしよっと。誰もいない部屋で私は呟き、黙々と下準備を始める。 煮込みに入り、少し手が空いたので机の上を簡単に片付けていた時だった。聞き慣れた、いやむしろ聞きたくてたまらなかった声が、テレビ

          あの日見た夢の断片。

          【タピオカ童貞の道程話】

          私は18歳の夏にタピオカ童貞を卒業しようとした。これを食した上でこんなものに何時間もかける奴は馬鹿だと言いたいがために。場所は東京である。 そして、写真の通りのタピオカ屋に行き、ブラックミルクティーのMを頼んだ 「トッピングはどうなさいますか?」女の店員がマニュアル通りに聞く。 「大丈夫です」今考えればトッピングをどうするかという問いに対して大丈夫という返答は正しかったのかどうかいささか疑問ではあるが、日本語の大丈夫という言葉は非常に

          【タピオカ童貞の道程話】