daradara

感性が豊かというのは数字・知識を詰め込みすぎないフラットな状態だから成立している状態なのだと最近感じる。人間は程よく知見が浅いほうが感性は豊かになりえるかもしれないということだ。ふとそんなことを考えながら、昨日淹れたコーヒーをマグカップに移す。もう冷たくなった朝のコーヒーは苦みが際立って、目を覚ますにはぴったりなように思えた。ついでにタバコに火をつける。慣れたその所作に、自身の喫煙歴がそう短くないものになってきていることを気づかされる。寒い部屋ではあるが、暖房をつける気にはならなくて、ブランケットに包まりながら冷たいコーヒーを飲み干した。今日の予定を確認し、行動スケジュールを組み立てる。観葉植物たちに水あげないとであるとか、大掃除したいなであるとか、明らかに服が多いから売り払ってしまおうかとか、そんなことを考えている。

窓の外は相も変わらず季節感がない。小さいころは嫌いだった、実家の隣に建っている派手好きであろう人間が住んでいそうな家の移り変わりが恋しい。イルミネーションに鯉のぼり、もちろんたくさんの植物たちも植わっていた。
親の顔が見てみたいということはよく聞くが、私はその家の子どもの顔が見てみたいとずっと思っていた。

一度だけ、その家の子どもの顔を見たことがある。私が何気なくベランダでたばこを吸っていた時に、隣人が車で帰ってきたのだ。カーキのジムニー。家は派手なのに、車は意外と普通なんだなと感じた記憶がある。駐車スペースと思われる芝生にはタイヤの跡がついている。ジムニーについている4つのタイヤは芝生についた跡を、初めて書写をする小学生のようにゆっくり丁寧になぞりながら駐車した。
そこから顎髭を生やして赤いサングラスを付けた男と白いニット帽に、太もものあたりが大きく裂けたデニムを履いた女が降りてきた。その女が後部座席を開けたかと思うと、腕を広げて子どもの名前を猫撫で声で呼びながら、男の子を抱きかかえた。小学生にも満たないような男の子に見えた。緑のベストの下には黒いロンTを着ている、深い青色のダメージジーンズに茶色のブーツを身に着けている。田舎の坊主にしてはハイカラやなと思いながら、とっくに二本目に入ったタバコを燻らせている。
母親に抱きかかえられた少年と母親の背中越しに目が合った。母親には、今知らない男と息子が目を合わせているとは気づかれないわけだ。少しの後ろめたさがありながら、少年の目をのぞき込むと、ニコニコしていた少年の顔が曇る。その目がただ物理的なものに感じた。少年の目がただの黒いガラス玉のように無機質なものに感じられて、思わず目をそらしたくなった。

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