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【タピオカ童貞の道程話】



私は18歳の夏にタピオカ童貞を卒業しようとした。これを食した上でこんなものに何時間もかける奴は馬鹿だと言いたいがために。場所は東京である。

そして、写真の通りのタピオカ屋に行き、ブラックミルクティーのMを頼んだ 「トッピングはどうなさいますか?」女の店員がマニュアル通りに聞く。
「大丈夫です」今考えればトッピングをどうするかという問いに対して大丈夫という返答は正しかったのかどうかいささか疑問ではあるが、日本語の大丈夫という言葉は非常に便利である。女の店員は「結構です」だとか「いらないです」の意味で理解したようだ。

実を言うと、私は少しだけ緊張していた。なぜなら、私はタピオカという食べ物(飲み物かもしれない)を忌み嫌い、食わず嫌いをしていたからだ。ただ、これだけ爆発的に流行るからには何かしらの理由があるはずなのだ。

そして待つこと5分。私の手渡された番号10番が呼ばれ、女の店員にストローを刺していいかどうか聞かれ、これもまた大丈夫ですとだけ答えた(この場合は紛らわしいのであまり良い返答だとは言えないかもしれない)

手に取って期待を大にしながらストローに口をつけ勢いよく吸い込んだ。おかしい。何かがおかしい。絶対的に何かがおかしい。そう、どこまで行っても(というか吸っても)ただの飲み物なのだ。そして疑問に思い、確認しようと手に持ったソレを少し傾けたモノがこの写真である。タピオカは入っていなかった。

私のタピオカ童貞はもうしばらく続きそうである

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