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I Feel Prettyという映画を見た!

邦題:「アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング」

※もしかするとネタバレを含むかもしれません

自信の無い人全てに見てほしい映画というキャッチコピーが付いてるらしいこの作品。スタイルは決して良くない、顔も造形美としては優れているわけではない女性が、自尊心とはなにかというものを理解するまでの過程を描いた映画だと感じた。

この作品で強烈に感じたのは、フェイクの自尊心とリアルな劣等感という対比。

そもそもリアルとフェイクの差は何だろうということを考えさせられた。そして、その輪郭をなんとなく掴めることが出来たと思う。そういった意味でこの映画に出会えたことに感謝している。

リアルな自尊心は内から溢れ出るもので、決して外から吸収することで放出できるものでは無いということを感じた。あくまでこれは私のイメージの範疇を超えるものではなく、理解できない人間も多いかもしれないが、この言葉を脳の片隅に置いた上でこの映画を見ると少し共感してもらえるかもしれない。

フェイクはダメとか、リアルが正義とかそういう話ではないんだけれども、やはりフェイクは脆いのだろう。リアルは時間と経験によって少しづつ身に付いていくものであって一朝一夕の話ではない。
フェイクは極端な話、今この瞬間から催眠術にかかったように身につけることができる。とにかく信じ抜くことが大事だ。自分はできる、自分は素敵だと。
それができるなら別にフェイクでも何でもいいんじゃないかなと思った。でも毎日鏡を見て念仏のように催眠術にかかって生活するのは少し窮屈そうだな〜と思った。

鏡なんか見なくても自信に溢れてるリアルな人間は、自身が優れた人間であると自覚することが出来る。ここが圧倒的なリアルとフェイクの差であると強く感じた。


少し話は変わるが、”太っている自分を見て素敵だと感じるのはフェイクなのだろうかリアルなのだろうか?”
この問に対して明確な答えは出ていない。私が太った異性を忌避していることもあり、素敵で的を得た答えはいつまでたっても出ないかもしれない。

”太った異性が嫌いである”というのを”痩せた異性が嫌いである”と同等に捉えるのか否かでも話は変わってくる。ここを個人の好みの範疇を超える話ではないと捉えるのであれば、この話はここまでだ。しかし、せっかくなのでもう少し考えてみようと思う。

造形美として美しい異性を魅力的だと感じる人間が世の中にどれくらいいるだろうか。別に異性でなくてもいいのだが。

少し脱線するが、私は女性が好きな男性である。顔から足にかけて美しいプロポーションを持つ女性を美しいと感じる。目や鼻、唇も同等に美しいと感じる。
そして、それは性的衝動に付随するものであると強く感じる。
そして、男性の筋肉に強く造形美を感じる。美しい体だと感じる。目や鼻、唇や髭といったパーツではなく、からだ全体を俯瞰して美しいと感じるところが性的衝動とはまた違うところであるが故であると思う。

この脱線部分に共感することのできる人間が、理想と大きく乖離している自分の体や顔を魅力的だとするのは納得なのではないかと思う。そしてその納得は、諦めから起こる都合の良い納得なのではないかと思う。
そういった意味で、自分の描く理想に近づこうと努力することは人間が人間社会で生活する上で必須なのではないかと感じるのです。これは異性に魅力的だと感じてもらうように努力するのではなく、あくまで自身の理想に近付くために努力を怠らないことが重要だという話である。
この話に内面の話は何ら書かれていないので、その辺を度外視しているということは理解していただきたい。

そもそも美しさという前提がみんな違うので、今回は外見に搾って造形美という観点で話をした。内面の美しさは人それぞれが違う哲学を持っており、曖昧で輪郭のないものだと考えているので、この辺の話はまたどこかで。

ではまた。

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