大たわけ

というかこれは独り言を永遠に続けるだけだから、なんてことはないというか、でもこれはこれでnoteを書くのとTwitterで書くのでは情報量のちがいからかわからんが、書きづらいなと思ってる。ラジオDJもお便りがなければ、番組中時間を持て余すだろうということだ。

というかだな、”森の奥で殺されると思った話”を二週間くらい前から書いてるわけだが、どうにもこうにも、にっちもさっちも、いかないというか固いというかつまらない校長の話を聞いてる時の感覚に文章を書いてる当の本人が陥ってしまって、モチベーションがどんどん失われていくとともに、才能のなさを痛感してしまうから嫌になってしまう。ということで、”森の奥で殺されると思った話”は投稿するまでまだしばらく時間がかかりそうだ。
いや、このテンションで文章書き続けれるなら絶対に終わらせれるだろと感じたそこのあなた。はい、あなたです。今でいうと僕ですね。でも、あなたかもしれません。あなたじゃないかもしれないけど、あえてあなたと呼ばせていただきたいし、なんならそう感じててほしいなと願うばかりです。

もちろん文章にはいろんなテクニックがあって、それらを自然に使いこなせる才能がある人もいれば、学んで使う人間もいる。ただ、テクニックとやらには本質的に意味はないと思っているし、いつの時代のどの場面においても重要で本質的なのはコツだと思っているんですなあ。横の人も緑髪短髪、つい先日まで肩までのロン毛そうだった男が向井秀徳を爆音で聞きながら、気の狂ったような文章を書き続けているとは思わないだろうな。マジで。

工場の風景や匂い、そういったものを今は正確に知りたい。なぜなら書きたいから。文章に落とし込むには圧倒的に体験がいる。だからモテないやつには艶のある文章は書けないし、人を笑わせたことがない人は面白おかしい文章を書けない。気の触れた人間は気の触れた気持ちの悪いおぞましい文章を書くのだろうな。

まあそんなことはどうでもいいんですけど、横の人が左ひじを肘置きに置いてぐっと重心を左にずらして頬杖をつきながら、こちらに携帯を隠すような姿勢で携帯を触ってますね。多分、”横でPCを高速タイピングしてる緑髪短髪の、つい先日まで肩までロン毛だったであろう男がいる!何してるか気になるなあ”とかツイートしてるんだろうな。横のメガネ君に対してのアンサーとしては”お前のことちょうど書いてるところだよ”という感じだ。

他人の言葉や思想に触れるから気も触れて文章なんて書こうと思うんだ。だからTwitterで文章を書いてる人間はみんな気が触れてるに違いない。まともな人間は文章を書こうと思わないし、絵を描こうと思わないし、音楽を作ろうとはしない。これはしないと断言するには余白が必要だから、まともな人間もいるかもねとだけは言っておかねばならないかもしれない。

・・・・・・・・・・・・煙草休憩入ります・・・・・・・・・・・・・・







長かった。吸い溜めしてたわけじゃない。シンプルに混んでた。思わぬところで時間を相対的なものだと感じてしまい、相対性理論とか煙草吸ってるやつでも実感できるのかと笑ってしまった。

というか、携帯の充電がなくなったからこんなことをしてるわけだが、乗り換えに弱いという理由で乗り換えのスクショをPCでも見れるようにした。多分乗り換えに困ったら駅でPC開くんだろうな。めちゃくちゃきもいな。まあいいけど。東京駅に着いたので今日はこの辺でお開きにさせてもらいます。ではまた。

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