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森の奥で殺されると勘違いした話

「今日の夜もひとっ走りいこうぜ。」
そんな言葉が横行するくらいには僕の地元と僕の青春時代は浅黒く汚れたものだった。”不良が見る空は灰色に見える”そんな言葉が似合う青春だった。
華やかな学園生活を送り、学友たちと勉強に励み、恋愛にいそしむ。そんな絵に描いたような学園生活とは無縁だった。むしろ正反対だったといってもいい。

そんな私が、唯一本気で死を覚悟した話をしようと思う。

その日はよく晴れている夏の日の昼下がりだった。

セミがうるさいのを背中で感じながら、携帯が鳴らす電話の音でむくりと起き上がった。昼寝をしすぎたな、今日の夕方あいつらと花火するんだったか。ぼんやりそんなことを考えながら、光っている携帯をのぞきこむと、そこには常に緊張感を漂わせているような野太くドスの効いた、まさに皆が憧れるようないい声の男の連絡先が表示されていた。
え、藤村さんからの電話?どういう了見なのか気になるよりも先に、ただ漫然と嫌な予感がすると思った。この男からの電話は大抵いいことではないのだ。さらに、ほとんどの確率で頼み事をしてくる男なのだ。それもとっておきに都合の悪い。

どうせろくな要件じゃないんだろうと思いながらも、シカトするわけにはいかない。頼みごとを断るより、電話に出なかったことのほうが悪いことになるのは目に見えていた。
「お疲れ様です。」寝ていたことを隠すように元気な声を出す。「おう、お疲れさん。いきなりやけど、お前に頼みごとがあるんや。」ああ、これはもう最悪のパターンだ。いつも世間話をしながら、角を立てないように頼みごとをする藤村が、いきなり本題から入った。おそらく相当切羽詰まっているのだろう。もう断る権利すらそのときの私には残されていなかった。
「今日の夜、空けといてくれへんか。時間は、22時回ったころやな。俺んちの前の公園で待っとれや。若い衆が迎えに行くと思うで。ほな、よろしゅう。」それだけ早口で言い終えると電話は切れた。

さっきまで電話の向こうに人がいて、話していたとは思えないくらいに残酷な機械音が僕の耳を駆け抜けていった。何故、藤村本人が迎えに来ないのか、そもそも何をするのか、何か道具を持っていけばいいのか。聞きたいことは山ほどあったが、ひとしきり自分の中で考えたところ、一つの結論にたどりついた。
自分が殺されるのではないかということだ。

確かに最近の自分はうまく稼いでいたし、チームも少しずつ大きくなっていったところだった。ただ、本職の人間には筋は通していたはずだった。いくら稼いでいるのかと聞かれ、正直に話すと、よく鼻で笑われたものだった。本職の人間がシノギにするには額が小さすぎるのだ。どことも波風立てないようにうまく立ち回っているはずだった。自分が消される理由はどこにも見つからなかった。それが余計に自分を不安にさせた。
いつもとんでもないミスを犯すとき、当の本人である自分は直前まで気づかないものだからだ。そして、得てしてそういう場合、自分ではくだらなくて見落としてしまいそうなことが、相手にとっては都合が猛烈に悪く、腹の収まりがつかないところまで到達してしまっている。

必死に頭の隅々まで思考をめぐらすが、いっこうに心当たりにかすりもしない。脳のシワというシワを何かに引っ張られるように光速でかけまわるのだが、なにも手掛かりはつかめない。

あきらめて花火を楽しむことにしよう。そうして考えることを投げ捨てた自分は、待ち合わせの場所に向かった。
花火は何のわけもなく終わり、帰路についた。途中で何度も藤村からの電話の内容が反芻したが、花火の音と鮮やかな色にかき消され、不安の輪郭がぼやけ、曖昧なものになっていった。

家で一人でいると気が狂いそうだと思い、悪友に経緯を説明し、一緒に約束の時間まで過ごしてくれることになった。こういうときばかりは不良をしていてよかったと感じる。悪友がバイクで颯爽と迎えにきて、僕を夜の街へ攫っていった。街の明かりに目を痛いほどに刺激されながら、周りの車たちが止まって見えるくらいに加速した二人と一台は夜の街をジグザグに駆け抜けていった。

約束の時間の一時間前に藤村から着信が来た。頼みごとが白紙に戻ったという報告を期待しながら耳に携帯を当てると、期待とは真逆の要件が返ってきた。「お前とあと一人、昼言った場所に連れてきてくれ。その方が用事も早く終わるでな、すまんが頼むわ。」そこで電話は息絶えた。また元の無機質な物体に戻っている。
何も悪いと思っていない謝罪が耳を通り抜ける。約束の時間まで一時間を切っていた私には、前でハンドルを握っているこの男を連れていく他に選択肢がなかった。

話したいことがあると言って、近くのコンビニに止まった私は藤村からの用件を伝えた。「そんなん全然ええで。藤村さんにもお前にも世話になってるからなァ」こいつは何も怖くないのだろうか。えらくあっけらかんとした答えを言い放つ彼に、私が面食らっていると、続けて「たぶんやけど山に穴掘りに行くか、船出してごみ処理頼むかどっちかやろ。どっちにしても儲けもんやで。藤村さんの手伝いは小遣い多いでな」

約束の時間に公園に着くと、軽バンに乗った白ジャージの男二人が待っていた。彼らが私たちに気づくと、彼らは軽バンからのそりと降りてきて、私の顔をまじまじと見つめ、「藤村さんの使いか?」と聞いてきた。そうだと返答すると、「ほな、行こか。まあ3、4時間くらいで終わるやろうでな」

えらく山の奥に入ったと思ったが、もう周りは完全に暗闇で、生き物の気配を色濃く肌で感じることはわかるのだが、正確な所在はつかめないままだった。どこまでいくのだろう。そもそも今は道の上を走っているのだろうか。日常では考えもしないことが脳裏によぎっては消え、よぎっては消えていく。

「着いたぞ、降りな。」運転席の男が言う。車中であまり会話がなかったせいか、この男たちの考えていることがうまく掴めなかった。何の情報もつかめないほどの山奥に来ていることだけはわかったていた。車が通ってきた道を暗がりでぼんやりと見つめると、道なき道を草木を押しのけて通ってきたらしかった。

「お前、ほんまに何もしてないんか。これはちょっとやばいんとちゃうか」悪友が私にそう話しかけてくる。車中での雰囲気と、山奥であるという事実が彼を不安にさせたのだろう。彼が何も怖くなさそうに見えたので気が楽になっていた私は、一気に暗く、鬱蒼とした波に飲み込まれることになった。鼓動が大きくなっていき、耳から入ってくる音がだんだん遠くなっていく。視界もなぜかぼんやりとして脳が情報を処理することを拒んでいるように感じた。

「シャベル持ってきたから、お前らが入れるくらいの穴掘ってくれや」それだけ伝えて、助手席に座っていた男が僕と悪友にシャベルを手渡す。なんでもないシャベルがとてつもなく重く、異様な浅黒いオーラを纏っているように見えた。
この時点で、私は結末が決していいものではないだろうと確信した。穴だけ掘らせてあとは何らかの方法で生命活動を強制的に絶たれ、ついでに埋められるのだろう。
同じように考えたのであろう悪友は、車を降りた時から顔色が良くない。普段はあんなに口を動かし、静かな環境に耐えられない彼が固く唇を閉ざしている。何も感じてなさそうに煙草をふかしている白ジャージのたちが余計にこの空間を気味の悪いものにしていた。

逃げることも必死で考えたが、逃げたところで何になるのだろう。その先に待っている結末は少なくとも今より残酷で、救いようのないものに違いなかった。

全てを諦めた私と悪友はシャベルを持って、自分たちが入るくらいの穴を掘り始めた。全てを諦めるというのは、ヒーローが現れることを妄想したり、神に祈ることすら放棄している状態だった。夏の暑い夜だというのに、背中に冷たい空気が伝うのを脳とは別のところで感じられた。

僕らは淡々と穴を掘っていた。数時間たった気もするし、数十分しか経ってない気もする。気付けば、自分が掘った穴から這い上がることが難しいほどに深いところまで来ていた。「こんなもんでどうですか?」恐る恐る、穴の中から白ジャージの男たちに声をかけると、彼らが私を穴から覗き込みながら「おー、えらい頑張ったなぁ。で、どうしてほしい?」

このひどく暗くて狭い、この世の悲壮感を全て詰め込んだ穴から出して欲しいに決まっている。

えらく緊張感のない問いかけだと訝しんでいると、彼らが手を差し伸べてきた。あんなに人相の悪い人間たちでも、手を差し伸べるという行動によって仏のように見えるものだと思った。

穴から這い上がった私の額は大粒の汗と湯気が出るほどの熱気を帯びていた。そして、そんなことが気にならないくらいに拍子抜けしていた。おそらく、誰から見ても間抜けで、何も考えていない顔をしていただろうと思う。人間が真にホッとする瞬間は間抜けな顔になるのだとその時知った。

「え、殺さないんですか?」漫画のような間抜け面で私が聞く。その瞬間私たちを連れてきた二人は腹を抱えて笑い出し、これまでの私たちの振る舞いが不自然であったことに合点がいったようだった。元々殺す気などなく、これから使う予定の穴を掘るというその行為がただ彼らにとって億劫だっただけのようだった。それは単純に作業に対する億劫さではなく、彼らにしかわからない気乗りしない何かがあったのだろうと思う。

ひとしきり作業を終え、荷物を車に詰め込んだ後、乗り込む前に冷たい夜風が頬を伝った。何か気になり振り返ると、穴が開いたのかと思うくらい大きな月がそこにはあった。



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