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忘れられた民俗学史の一断章を掘り起こすこと―北見継仁さん『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家 青柳秀雄の生涯とその業績』(皓星社)を読んで

1.はじめに

 北見継仁さん『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家 青柳秀雄の生涯とその業績』(皓星社、2024年)(以下では本書と記載する。)をご恵贈いただいた。

表紙

青柳秀雄(秀夫)は古本マニア、民俗学史に関心のある方々などの間では知る人ぞ知る人物であったが、その名前だけが知られており、彼の詳細は謎に包まれていた。私も以下の記事で紹介したように青柳の名前は聞いたことがあったが、どのような人物か分からず長年気になっていた。また、青柳の発行していた『佐渡郷土趣味研究』については、いつか目録を作成したいと考えていた。

 当時調べた限りでは、民俗学史の中でも青柳のことはほとんど言及されていなかった。たとえば、『日本民俗学大系』第11巻(地域別調査研究)(平凡社、1958年)の山本修之助「佐渡」では、「昭和五年、青柳秀雄氏『佐渡郷土趣味研究』を創刊、昭和七年まで一二冊刊行された」と紹介されているのみである。Webでは、神保町のオタ様、書物蔵様が以下のように紹介されているのみであった。このように青柳は民俗学、郷土研究の領域で活躍していた人物であったにもかかわらず、その生没年も分かっていなかった。

 本書は、そんな青柳の謎に包まれていた経歴や『佐渡郷土趣味研究』を中心とした彼の出版事業の全貌を明らかにした労作である。

2.青柳秀雄について

 本書は青柳の経歴、出版事業の年譜形式での紹介、青柳の出版したテキストの翻刻、菊池暁「民間伝承の会「支部」をめぐって」と小林昌樹「ブックコレクターとしての青柳秀雄」という2者による解説で構成されている。それぞれの章ごとに興味深い点があるが、特に本書の大部分を占めているのが青柳の経歴と出版事業の紹介であるので、この部分を中心に紹介していきたい。

 まず私の目を惹いたのは青柳が民俗学、方言研究と並行して文藝誌を発行したり、様々な物を蒐集したりしていた点である。文藝や蒐集から始まり、民俗学や郷土研究に関心を移すのは柳田国男など様々な人物に共通している関心の持ち方であるが、青柳もそのひとりであった。本書によれば、青柳は15歳の時に佐渡の俗信を調査して記録しており、かなり若い頃から民俗学・郷土研究に関わっていたという。

 青柳の執筆や出版事業もこのころに始まっている。本書の物凄い点は、これらが可能な限り網羅されている点である。執筆目録では、青柳の各雑誌に投稿した文章が紹介されているが、『旅と伝説』や『民俗藝術』などの比較的知られている雑誌だけでなく、加賀紫水『土の香』や杉山正世の『愛媛県周桑郡郷土研究彙報』という地域で発行されていた小さな雑誌まで収録されている。後者は拙noteの以下の記事で紹介したように最近知ったが、この他にも青柳は『愛媛県周桑郡郷土研究彙報』に投稿していたようである。

 青柳の出版物の紹介も非常に充実したものである。私が驚いたのは、青柳の出版事業は民俗学・郷土研究だけでなく、文藝や書誌関連にも及んでおり、点数も非常に多かった点である。青柳が積極的に活動していた1930年代には、各地域に民俗学・郷土研究の普及に寄与した個人出版社や書店があったが、青柳もそのひとつに位置付けられるだろう。

 本書の紹介している範囲は謄写版で発行された小冊子にも及んでいるのも凄い。小冊子は散逸しやすく蒐集が困難であり、ここにも著者の苦労が垣間見られる。私も以下の記事で紹介した調査趣味誌『深夜の調べ』第1号に投稿したように、加賀の主宰していた土俗趣味社が発行していた出版物の目録を作成したことがあるが、まだまだ未見の土俗趣味社の出版物があったのではないかということにあらためて気が付かされた。(注1)

3.『佐渡郷土趣味研究』について

 本書は、青柳の発行していた『佐渡郷土趣味研究』の総目次も収録されている。この雑誌は謄写印刷であり、所蔵している図書館や研究機関も少ないので総目次や書誌情報はとても貴重である。総目次からはこの雑誌には、本山桂川橘正一、高橋勝利、佐々木喜善などの民俗学研究者、九十九豊勝伊藤吉兵衛(蝠堂)、池田文痴庵などの趣味人が投稿しており、多様な人びとがこの雑誌に集まっていたことがわかる。佐渡だけでなく、全国から同好者・研究者が集っていたのは、当時の民俗学雑誌や蒐集関連の個人誌(趣味誌)に共通した特徴である。『佐渡郷土趣味研究』は、上記に言及した『土の香』のように当時の土俗趣味(もしくは郷土趣味)の世界に属していたと考えられる。

 『佐渡郷土趣味研究』だけでなく、青柳が発行していた他の雑誌の総目次や書誌情報も収録されている。私が驚いたのは、青柳の発行していた『佐渡研究』が長野県の石曽根印刷によって印刷されていた点である。以下の記事で紹介したように、加賀の『土の香』や江戸川乱歩の弟・平井蒼太(通)『麻尼亜』と『雑学』が石曽根印刷により印刷されている。本書では、青柳と石曽根印刷の関係性に加賀が関わっていたのではないかと推測されているが、いずれにせよ青柳が当時の趣味の世界に深く関わっていたことは確かである。石曽根印刷とそれを媒介したと思われる石曽根民郎の当時の土俗趣味界における重要性を再確認した。

 以上は私が一読して気が付いた点であるが、このように様々な発見があるのが本書の総目次の魅力である。特にこのように各同好者・研究者の執筆目録を増補するのに活用することができるだろう。

4.2つの解説—民俗学史研究の中での本書

 上述したように、本書には菊池暁、小林昌樹による解説が投稿されている。それぞれ興味深い指摘があったので紹介していきたい。菊池によれば、本書は近年の民俗学史の研究の中で以下のように位置付けられるという。

近年、民俗学史の研究は着々と蓄積されつつある。単純化していえば、柳田國男、折口信夫、渋沢敬三、宮本常一といった民俗学的「巨人」のみならず、そういった「巨人」と関わりつつ、それぞれのフィールドで仕事を積み重ねていった「その他大勢」の存在に光があてられ、検証が加えられるようになった(中略)

 ここで私が確認できている範囲で近年の事例を補足として紹介したい。たとえば、大阪民俗談話会を主宰した澤田四郎作の日記が翻字され澤田の民俗学以外のネットワークも含めて明らかになりつつある。(磯部敦さんのWebページを参照。)宮崎県の民俗学研究者・日野巌や彼が発行していた『日向郷土志資料』の実態がWATANABE様により明らかになった。(注2)また、その出版を支えた小倉栄嗣が経営していた文華堂も検討がされている。

上述した私が作成した『土の香』総目次・解題もこの潮流の中に位置付けられるだろう。

 菊池は、この事例研究の過程で「「巨人」と「その他大勢」がどのように結びつくのか、そのネットワーク形成をどのように理解するか、という古くて新しい課題が立ち上がる」ということを指摘している。私は初期の民俗学と土俗趣味の世界との関係性に関心があるが、青柳の仕事はこの関心の中でどのように位置付けられるかは今後考えていきたい。

 小林の解説は青柳を民俗学・郷土研究家でなく、ブックコレクターとして紹介している。小林によれば、青柳は古典社・渡辺太郎が発行していた書物雑誌『図書週報』の通信員をつとめており、佐渡関係の文献リストを報告していたという。青柳は古書蒐集家のネットワークの中にいたようである。

 ここで興味深いのは、青柳が民俗学・郷土研究を出版事業で盛り上げるだけでなく、『図書週報』を通してこれらを普及しようとしていた点である。古書蒐集家の中には、民俗学・郷土研究にあまり関心のない人びともいたであろう。青柳の報告は当時の新興学問であった民俗学・郷土研究を彼らに普及する役割もあったように思われる。青柳と同じような立場にあった人物に岩手県の橘正一がいる。橘は方言研究を中心に活躍していたが、『図書週報』の通信員を担っていた。(注3)青柳と同じく当時新興の学問であった方言研究を普及しようとしていたと推測される。(注4)

 小林は、「新興学問においては研究文献の入手自体が大変で(中略)直接の通信販売やあるいは同好の士同士の古本交換で入手するしかない。当時の新興学問は趣味から立ち上がってきた」と述べており、新興学問の普及に『図書週報』が果たした役割を指摘している。民俗学の普及に関して、柳田の果たした役割は非常に大きいが、普及に寄与した別の回路が柳田の外に存在したというのは重要であると私は考えている。

5.おわりに―本書と現在の同好者ネットワーク

 以上、簡単ではあるが、本書の紹介を終わりにしたい。本書は民俗学史、方言、趣味誌に関心のある方々にとっては貴重な資料集となるので、ぜひ手に取ってみて欲しい。

 最後に余談だが、本書のおもしろい点は引用元として青柳に関心のある同好者の情報も盛り込まれている点である。神保町のオタ様、書物蔵様、トム・リバーフィールド様編『昭和前期蒐書家リスト――趣味人・在野研究者・学者4500人』の情報も引用されている。また、上述した私が発行した調査趣味誌『深夜の調べ』第1号も参考いただいた。このように現在の同好者ネットワークと本書が接続されていることは、青柳と古書蒐集家のネットワークがつながっていたことが連想される。青柳の所属していた民俗学、古本蒐集の同好者ネットワークが形を変えながらも、時代を超えて受け継がれ、本書にも反映されている。

(注1)不足があったことは以下の記事で紹介した。

(注2)日野については、「日野巌の年譜―民俗研究を中心に―」『みやざき民俗』第73号(宮崎民俗学会、2023年3月)を参照。
(注3)「新本の週刊新聞から古本の月刊雑誌へ:『図書週報』解題」(『『図書週報』―昭和前期書物趣味ネットワーク誌』、金沢文圃閣、2015年)
(注4)Takashi Kamikawa「方言・民俗研究者・橘正一の発行していた『化け物研究』あらため『民間信仰』について」(『草の根研究会会誌』第1号、2023年)

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