見出し画像

雑誌『土の香』を活版印刷に変更した石曽根印刷所の経営者は?

 以前以下の記事で加賀紫水の編集していた雑誌『土の香』を活版印刷に変更した印刷所として長野県の石曽根印刷を紹介した。この記事で、この印刷所の経営者を川柳作家・石曽根民郎であると紹介したが、私の手元にある実際の『土の香』を確認してみると、当初の経営者は民郎でなかったことが分かった。

『土の香』を調べてみると、『土の香』第16巻第1号から謄写印刷から活版印刷に変わったことが分かった。以下に、この号を写真で掲載していきたい。

画像1

画像2

比較のために謄写印刷の『土の香』の写真も掲載しておきたい。写真は第14巻第1号である。私が確認した限りでは、宮本常一がはじめて『土の香』に投稿したのはこの号である。

画像3

画像4

活版印刷により誌面がとても読みやすくなったことが分かる。奥付には、印刷所は石曽根印刷所となっているが、印刷者は石曽根民郎でなく石曽根廣作という人物である。そのため、『土の香』の活版印刷に協力していた人物は民郎でなく廣作であったと言えるだろう。神保町のオタさんの以下の記事によると、石曽根印刷は民郎の父親が昭和2年(1927年)に創業したとあるので廣作は民郎の父であったのではないだろうか。

 ところで、『土の香』の活版印刷への変更には紆余曲折があったようである。活版印刷へ変更された『土の香』第16巻第1号は1935年7月に発行されているが、この雑誌を活版印刷に変更したいという希望が1934年7月に発行された第13巻第1号で述べられている。しかしながら、1934年11月に発行された第13巻第5号の巻末に、活版印刷を依頼していた印刷所から料金の提示が間違っていたと連絡があり料金を約2倍値上げされたので、他の印刷所にも依頼したがよい返事がもらえず活版印刷への変更を一旦延期することになったと述べられている。おそらく困っていた加賀に廣作が印刷面での支援を申し出たのではないだろうか。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。