Theopotamos (Kamikawa)

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Theopotamos (Kamikawa)

近現代史の話題が中心です。広い意味で研究をしています。連絡先:theopotamos(a)gmail.com ※(a)→@にお願いします。 Twitter : https://twitter.com/theopotamos

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  • 調査趣味誌『深夜の調べ』第1号関連記事

    調査趣味誌『深夜の調べ』第1号で紹介しているnoteの記事をまとめました。 雑誌とともに参考いただければ幸いです。

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【お知らせ】調査趣味誌『深夜の調べ』第1号発行(2023年4月下旬発行予定)―「調査趣味誌」とは?

 この度、調査趣味誌『深夜の調べ』第1号を発行いたします。詳細は以下になります。「調査趣味誌」って何だろう?という方は「創刊のことば」を読んでほしい。 発行予定 2023年4月下旬 目次 ・『土の香』総目次+解題+索引 Takashi Kamikawa ※拙noteで度々紹介している幻の民俗学雑誌(土俗趣味誌)『土の香』に関する調査結果を投稿しました。 ・資料紹介:加賀紫水編『国の礎』について Takashi Kamikawa ・渡辺霞亭(碧瑠璃園)『日蓮聖人』雑記 

    • 柳田国男「身の上餅のことなど」についてのメモ

      柳田国男『食物と心臓』(創元社、1940年)に収録されている「身の上餅のことなど」を読んでいて興味深い記述があったので引用してみたい。  ここで柳田は餅は各人に配分された後は「処分の自由」が各人に与えられたと述べられている。ここでの「処分の自由」は所有権とも言えるだろう。以下の記事で紹介したように、丸山眞男は日本の歴史の中に近代精神の萌芽を読み取っているが、柳田も近代精神を人びとの歴史の中にみていたのだろう。

      • 加賀紫水の『土の香』に投稿している相良武雄は誰だろう?

         以下の記事で紹介して総目次も作成した加賀紫水の雑誌『土の香』に相良武雄という人物が第1巻第6号に「南蛮傳末 カステラ」、第2巻第3号に「熊谷名物 五家宝の由来」が投稿している。  この「相良武雄」は「さがらたけお」と読んで上記の調査趣味誌『深夜の調べ』第1号に投稿した『土の香』総目次の索引に載せたが、この読み方が誤りかもしれないことに先日気が付いた。山野博史・田熊渭津子「尾佐竹猛略年譜・著作目録」(『關西大學法學論集』第27巻第2号(1977年))によれば、犯罪や賭博・掏

        • 戦前に発行されていた右翼雑誌『明徳論壇』について

           以下の記事で紹介した趣味人・鷲見東一は加賀紫水の発行していた雑誌『土の香』に度々投稿していた(注1)が、鷲見は『土の香』の「寄贈図書雑誌」欄にも頻繁に紹介されている。鷲見は様々な雑誌を寄贈しているが、その寄贈品のひとつに『明徳論壇』という雑誌がある。この雑誌のことが気になっていたが、所蔵している図書館や研究施設も少ないのでよく分からなかった。    先日、『明徳論壇』について小林昌樹編『雑誌新聞解題事典1935 附・ジャーナリスト名鑑』(金沢文圃閣、2015年)に掲載され

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        • 調査趣味誌『深夜の調べ』第1号関連記事
          19本

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          木村哲也さん編『内にある声と遠い声—鶴見俊輔ハンセン病論集』についてのメモ⑤—記憶を保つ人びと

           以下の記事で鶴見俊輔の思想のキーワードとして「記憶を保つこと」があることを紹介したが、木村哲也さん編『内にある声と遠い声—鶴見俊輔ハンセン病論集』(青土社、2024年)にもこの「記憶を保つこと」が登場したので引用してみたい。  ここではハンセン病の隔離政策に対して反対した人びとのことを「記憶を保つ」人びととしている。ハンセン病との関りは「記憶を保つ」という思想の重要性に鶴見が気が付いた要因のひとつになったのだろうか。

          木村哲也さん編『内にある声と遠い声—鶴見俊輔ハンセン病論集』についてのメモ⑤—記憶を保つ人びと

          戦後すぐに岡山発行された趣味誌『新天地』について

           敗戦直後に多くの小さな雑誌(同人誌)が各地域で発行されたことは串間努さんの発行していた雑誌『旅と趣味』でも度々言及されているが、この潮流の中にあり岡山で発行されていた『新天地』という雑誌をこの時期に発行されていた雑誌の例として紹介したい。以下に書誌情報を記載しておく。 雑誌名:新天地 通刊21号 大きさ 約18.7cm×約12.8cm、洋装、謄写版印刷 印刷納本:昭和22年10月20日 発行:昭和22年10月25日 編集兼発行人:天峰光示 印刷:標世社 発行所:新天地社 

          戦後すぐに岡山発行された趣味誌『新天地』について

          趣味人・青山一歩の方言蒐集趣味

           以下の記事で大阪で活動していた郷土玩具や土俗に関心を持っていた趣味人・青山一歩のことを紹介したが、青山は方言にも関心を持っていたようだ。一歩の本名は青山冬樹であるが、方言研究者・橘正一の発行していた雑誌『方言と土俗』第1巻第7号(1930年12月)の「会員名簿(二)」に「青山冬樹(大阪)」という記載が確認できる。同じ趣味人では雑誌『土の香』を発行していた加賀紫水、漫画として知られている宮尾しげを、福岡の郷土玩具蒐集家・梅林新市も方言に関心を持っていたので、この時代土俗に関心

          趣味人・青山一歩の方言蒐集趣味

          南方熊楠と『いもづる』仲間

           以下の記事で南方熊楠が斎藤昌三の発行していた趣味誌『いもづる』を読んでいたことを紹介したが、他にも熊楠と『いもづる』との接点を知ったので紹介したい。厳密にいえば、熊楠と『いもづる』同人たちとの接点である。 『いもづる』の同人(客員)であった富士崎放江、大曲駒村は『誹風末摘花通解』(8巻+別巻の合計9巻、1928~1933年)を発行したが、この本の別巻の「あとがき」に協力者の1人として熊楠が紹介されている。以下に協力者を記載したい。なお、この本は佐賀大学附属図書館の貴重書デ

          南方熊楠と『いもづる』仲間

          柳田国男と深い交流のあった民俗学研究者・澤田四郎作の異端への関心—主流の中の傍流

           最近、辻本侑生・島村恭則編『クィアの民俗学―LGBTの日常をみつめる』(実生社、2023年)を読み終えた。この本は「社会規範に逆らうような、あるいは少しずつ転覆しさえするようなジェンダーとセクシュアリティにまつわる表現・行為」(本の中で紹介されている説明より引用)と定義されるクィアに関する民俗学を様々な視点から紹介・論じているが、その中のテーマのひとつにクィアの民俗学研究の先行者がある。本の中では、南方熊楠、岩田準一、金城朝永、北野博美らの仕事が紹介されており、私が今まであ

          柳田国男と深い交流のあった民俗学研究者・澤田四郎作の異端への関心—主流の中の傍流

          陸軍中将・押上森蔵、新渡戸稲造の郷土会に出席する

           陸軍中将であった押上森蔵は雑誌『飛騨史壇』の創刊に深く関わっており、押上は岸本昌也「書簡の杜―南方熊楠を巡る人脈―(三十) 押上森蔵」(『熊楠works』No.63(2024年))で南方熊楠と交流があったことが紹介されている。押上の経歴を『人事興信録 第6版』(人事興信所、1921年)から引用してみたい。  先日、別のことを調べていた際に以下の記事でも言及している『柳田國男全集』別巻(筑摩書房、2019年)の年譜を確認していると、押上について以下のような記述を発見した。

          陸軍中将・押上森蔵、新渡戸稲造の郷土会に出席する

          鳥類研究者・川口孫治郎の出版を仲介した?柳田国男

           以下の記事で和歌山県出身の鳥類研究者・川口孫治郎のことを紹介したが、川口は柳田国男と交流があった。この交流は川口と同じ鳥類研究者・中西悟堂は「恩人、柳田国男先生」(『定本柳田国男集』(筑摩書房、1962年)の月報4)で以下のように述べられている。  中西は柳田が川口の研究に注目して中央公論社に推挙したり、川口の研究を炉辺叢書に収録させたりしたと回想している。前者については、川口は『中央公論』第28巻第6号(1913年)に川口が「杜鵑に関する研究」を投稿しているので、この投

          鳥類研究者・川口孫治郎の出版を仲介した?柳田国男

          南方熊楠日記で見る斎藤昌三

           以下の記事で『南方熊楠日記[昭和六年、七年]』(南方熊楠顕彰館、2023年)のことを紹介したが、以前拙noteで紹介したことのある南方熊楠と斎藤昌三の交流(この記事も以下にリンクを貼っておく)に関する情報も何かないかと考えて探してみると以下のような記述を発見した。  斎藤が自分の発行していた雑誌『書物展望』へ投稿することを熊楠に依頼して、それに対して熊楠が何らかの返信をしている。『書物展望』を確認すると、熊楠の投稿はないのでおそらく断りの連絡を入れたのだろうと思われる。『

          南方熊楠日記で見る斎藤昌三

          高知の民俗学研究者・桂井和雄と郷土玩具蒐集家

           以下の記事で柳田国男と深い交流のあった高知の民俗学研究者・桂井和雄のことを紹介した。桂井は柳田の民俗学を地域で実践した研究者であり柳田に近かったので、柳田が批判的に捉えていた趣味人と交流がないのではないかと考えていた。  しかしながら、先日有坂與太郎(当時の大物郷土玩具蒐集家・研究者)が編集していた郷土玩具趣味誌『鯛車』を読んでいた際に高知県の郷土玩具をめぐって桂井と彼と同じく高知の研究者であった橋詰延寿の記事が出ているのを発見した。『鯛車』第32号(昭和15年8月)には

          高知の民俗学研究者・桂井和雄と郷土玩具蒐集家

          不評だった大西伍一編『郷土研究家名簿』

           以下の記事で大西伍一編『郷土研究家名簿』(農村教育研究会、1930年)について言及したことがあるが、この名簿は国会図書館デジコレで閲覧することができる。私は民俗学成立期の同好者・研究者のネットワークに関心を持っているので、この名簿を参照することも多く非常に助かっている。  しかしながら、発行した当時はどうもそうではなかったらしい。松本三喜夫『孤高の叫び 柳田国男・南方熊楠・前田正名』(近代文芸社、1991年)に収録されている「絶信後の南方熊楠と柳田国男―大西伍一編の『郷土

          不評だった大西伍一編『郷土研究家名簿』

          南方熊楠の『郷土研究』休刊理由の分析

           南方熊楠と柳田国男は深い交流があり後に決別したことは知られているが、熊楠はその後にも柳田の編集していた雑誌『郷土研究』に投稿を続けている。『郷土研究』は1917年3月に第4巻第12号をもって休刊となるが、熊楠は『郷土研究』が休刊となってしまった理由を分析している。熊楠が土佐の郷土研究者・寺石正路に1917年2月15日に宛てた書簡から以下に引用してみたい。(『南方熊楠全集』第9巻(平凡社、1973年)より引用。)  熊楠は柳田が『郷土研究』を自分の意見の発表の場にしており、

          南方熊楠の『郷土研究』休刊理由の分析

          岩波文庫の永井荷風『断腸亭日乗』に私のnoteが引用される!

           先日、永井荷風『断腸亭日乗』が岩波文庫として出版されました。今まで抄録は岩波文庫に入っていましたが、今回は全編が収録予定で今後続々と刊行される予定とのことです。『断腸亭日乗』のすべてを閲覧するには今まで『荷風全集』(特に1990年代に岩波書店から出版されたもの)を参照するしかなかったので気軽にアクセスできるようになるのはありがたいです。(『荷風全集』は国会図書館デジコレに収録されていますが館内限定公開。)  それだけではなく、今回の文庫の目玉は圧倒的なボリュームがある註釈

          岩波文庫の永井荷風『断腸亭日乗』に私のnoteが引用される!