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南方熊楠日記で見る斎藤昌三

 以下の記事で『南方熊楠日記[昭和六年、七年]』(南方熊楠顕彰館、2023年)のことを紹介したが、以前拙noteで紹介したことのある南方熊楠斎藤昌三の交流(この記事も以下にリンクを貼っておく)に関する情報も何かないかと考えて探してみると以下のような記述を発見した。

(昭和六年)十月二十九日(木) (中略)
[発信] (中略)此三つ午後四時五分出 雑賀貞次郎ハ一、栗栖和四郎ハ一、斎藤昌三ハ一 神奈川県茅ヶ崎町
[受信] 朝七時半着(中略)斎藤昌三 印刷状一 『書物展望』への正月号え(ママ)投書望まる(後略)
※「ハ」はハガキの意味。「ママ」はKamikawaが追加。

 斎藤が自分の発行していた雑誌『書物展望』へ投稿することを熊楠に依頼して、それに対して熊楠が何らかの返信をしている。『書物展望』を確認すると、熊楠の投稿はないのでおそらく断りの連絡を入れたのだろうと思われる。『少雨荘交游録』の中で斎藤は熊楠と「民俗方面からの文通で知った」と述べているが、少なくとも昭和6年、7年の日記にはこの交流は確認できなかった。斎藤の言う民俗方面の交流は熊楠の日記の他の部分に記載されているのだろうか。

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