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南方熊楠のはがきが貼り付けられた斎藤昌三『少雨荘交游録』

 斎藤昌三の『少雨荘交游録』(梅田書房、昭和23年)は国会図書館デジコレに収録されており、登録していれば自宅で閲覧できるようになった。(よい時代である。)この本の目玉は別刷100部に斎藤と交流のあった人物のはがきの現物が貼り付けられている点である。私が日本の古本屋で確認した限りでは、小島烏水、宮尾しげを、津田青楓、式場隆三郎のはがきが付属した本があった。

 さて私が購入した本は何と南方熊楠のはがきが貼り付けられているものである。以下に写真を載せておきたい。熊楠のはがきは昭和15年2月2日付で書物展望社宛に送られたものであり、裏面にも熊楠の字があった。現在解読中である。

表紙
熊楠のはがき
奥付

 また、私が購入したものは第69号である。はがきが貼り付けられている本には以下のように「一見返し消息貼込み」と記載されている。国会図書館デジコレに収録されている本にはこの記述がなかった。

 ところで、斎藤はこの本の中で熊楠について以下のように述べている。

南方熊楠翁 日本では終に大博士号を出し遅れて了ったが、細菌学では海外の方が有名な、世界的人傑だった。南紀州田辺の人で、民俗学、言語学の造詣深く、僕も民俗方面からの文通で知ったが、一度も逢う機会はなかった。
 此の老博士には寄行奇談も世界的で、詳しくは『南方随筆』に中山太郎が附載している。
 面会なども気が向かぬ者には中々逢わぬらしかったが、酒井潔君が僕の名刺を持参したら箪笥に引見して、怪談して来たこともあった。この老大家も今は亡い。(筆者により現代仮名遣いにあらためて必要に応じて句読点を追加した。)

以下の記事で紹介したように斎藤は性に関する民俗の蒐集、研究もしていたので、「民俗方面からの文通」は熊楠と性に関する民俗の情報交換のことを述べていると考えられる。南方熊楠顕彰館には斎藤が発行していた『いもづる』や『書物展望』が所蔵されているようなので、熊楠に自分の雑誌を献本していたのだろう。

 上記の引用部分には酒井潔が登場するが、酒井は「南方先生訪問記」を『談奇』第1冊第5号(昭和5年)(架蔵を写真で載せておきたい。)に投稿しており、この文章によれば、酒井のことを熊楠に紹介したのは斎藤であるという。熊楠との面会は非常に難しかったと言われているが、斎藤が熊楠の信頼をある程度得ていたからこそ酒井は熊楠に面会できたのだろう。

表紙
南方先生訪問記
酒井潔筆の熊楠

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