宮本常一と南方熊楠の交流?

 先日、何気なく青空文庫で、南方熊楠の「失うた帳面を記憶力で書き復した人」を読んでいたとき、下記の文章に出くわした。(追記1)

五年九号四十二項に宮本君の書いた、周防大島願行寺にむかし住んだ、非常に強記な層の話は、和観諸方に古来説話が多い。(後略)(傍線部分はKamikawa追記)

リンク先:https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/card52959.html

 南方熊楠は1867年生まれ、宮本常一は1907年生まれと年齢の差が非常にあるため、直接の交流はないと思っていたが、この文章を読む限り南方熊楠は宮本常一の文章に関心を持ち読んでいたようだ。

 上記の文章にある「五年九号四十二項」は、両者が投稿できた時期に発行されていた雑誌という点から、『旅と伝説』のことであろうと推測して国会図書館のデジタルアーカイブを調べてみると、宮本常一が『旅と伝説』第5年9号(追記2)のP40~P43に「周防の大島(四)」という文章を確かに投稿していたようだ。(追記3)

リンク先:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1483524?tocOpened=1

 上記の南方熊楠の文章は宮本常一のこの文章への応答として書かれていたようだが、未完に終わっている。この文章は、平凡社『南方熊楠全集 第6巻 新聞随筆・未発表手稿』に収録されているもので、南方の生前には発表されずに終わってしまった。もし、この文章が完成・投稿が実現していたとしたら、南方と宮本の紙上でのやり取りが展開されたかもしれない。

 今回、南方熊楠と宮本常一の直接の交流があったかもしれないと思って調べていたが、確認できたのは南方が宮本の文章に関心を持ち読んでいたという点たけで、直接の交流があったかは分からなかった。

 宮本常一の出席していた大阪民俗談話会には南方熊楠と親交の深かった岩田準一や雑賀貞次郎も出席しており、彼らから間接的に話を聞いていたかもしれない。(注1)また、宮本のパトロンでもあった渋沢敬三は最初に出版された乾元社の『南方熊楠全集』を編集しており、宮本も協力していたかもしれない。(注2)機会があれば、さらに調べてみたい。

(注1)大阪民俗談話会の記録は『柳田国男の歴史社会学―続・読書空間の近代』佐藤健二の巻末の付表4に詳しくまとめられているので、それを参照した。
(注2)Twitter上で木村哲也さんにご教示いただきました。

(追記1)ちなみに労働中に調べていました。。。
(追記2)同じ号に栗山一夫(赤松啓介)、長谷川伸、大藤時彦の文章が記載されているのがおもしいろい。『旅と伝説』という雑誌の特色もいずれ調べてみたい。
(追記3)デジタルアーカイブ化されているようであるが、国会図書館内限定公開のため、宮本常一の文章そのものは確認できなかった。昨今の状況を考慮して、自宅でも閲覧できるようにして欲しいものだ。

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