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廃業した?富永董が経営していた地平社書房―雑誌『民俗藝術』発行元変更の謎

 雑誌『民俗藝術』は、柳田国男、折口信夫、小寺融吉など現在でも知られている民俗学、芸能研究者が投稿しており、復刻版も国書刊行会から出版されているため、民俗学関連の雑誌の中では比較的に知られている雑誌である。この雑誌は一部を除いて図書館配信限定であるが、国会図書館デジコレでも閲覧可能である。

 この雑誌の奥付を確認すると何度か発行元が変更になっている。以下にその変遷を紹介したい。

1巻1号~4巻3号 発行者:富永董 / 発行所:地平社書房 / 編集:小寺融吉

4巻4号~6号 発行者:四海民蔵 / 発行所:民俗藝術の会 / 編集:北野博美 発売所:四海書房

5巻1号~3号 発行兼印刷者:萩原正徳 / 発行所:民俗藝術の会 / 編集:北野博美 / 発売所:三元社

5巻4号~6号 発行所:民俗藝術の会 / 編集兼発行:北野博美 ※民俗藝術の会の住所は三元社の住所と同じなので、引き続き三元社内に会の事務局はあったようである。

今回注目したいのは、発行所が地平社書房から四海書房に変更になっている点である。4巻4号によると、四海書房は民俗藝術の会の会員でもあった四海民蔵によって経営されていた出版社である。この出版社は現在も継続している。

 地平社書房は、『芸能復興』9号(民俗芸能の会編, 1956年)に収録されている「『民俗芸術』の創刊の言葉について」永田衡吉によると、『民俗藝術』の発行者であった冨永董が経営していた古本屋兼出版社であったようだ。なお、この文章の中では「冨永薫」と表記されているが、これは「冨永董」の誤記であろう。冨永は以下の記事でもあるように壬生書院という出版社にもつとめていたようで、出版関係者であった。彼の詳細な経歴はよく分からないが、永田の文章から判断すると冨永は1955年に亡くなったようである。

 『民俗藝術』4巻4号には、発行所が変更になった理由に関して、編集後記で「経済的に行き詰まった為なのだが、雑誌そのものが売れない為に行き詰まったのではなかった」とだけ述べられており、詳細は分からない。しかしながら、地平社書房に何らかの経済的な問題があったことが推測できる。『出版年鑑』を確認してみると、昭和八年版(東京堂, 1933年)までは発行所名簿の中に地平社書房が確認できるが、昭和九年版(東京堂, 1934年)以降は載っていなかった。このことから地平社書房が出版事業を中止したのではないかと推測できる。上記で紹介したように、地平社書房は古本屋でもあったようなので、廃業したかどうかまでは分からない。

 以上から『民俗藝術』の発行所が地平社書房から民俗藝術の会、四海書房へ移った理由は、地平社書房が経済難から出版事業から撤退したからではないかと推測できる。その後、雑誌『旅と伝説』を出版していた三元社が『民俗藝術』の出版に関わるようになる。『民俗藝術』は短命に終わった雑誌が多い初期の民俗学の雑誌の中で継続して出版された数少ない例のひとつだが、その理由のひとつは雑誌の出版を支援していたいくつかの出版社があったということであろう。

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