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ジャック・オディアール「パリ13区」

「愛してる」「キスして」
それだけを言いたくて運命はからまわり。
世界はおおむねコミュニケーションでまわってる。幸か不幸か、不幸か幸か。
誰もが誰かに秘密を抱えてるものだし、誰もが秘密を誰かに秘密を打ち明けたいもの。
きっとすべての恋する人たちは秘密と秘密が重なり合うところに立っている。
もしくは秘密がすれ違うところに。ある人はそれを友達以上恋人未満と言うのかもしれない。
たとえば、自分の全てを打ち明けられるほど気さくな関係ではないが、自らの一部は身を任せてもいいと思えるような。
孤独は痛みだ。自分では癒せない。誰かに頼らなければいけないが、その傷は思っているよりも深くて、癒すには自らを晒す必要がある。
あるものは祖母を、あるものは母を、あるものは自分を喪失している。その心の擦り傷。そして距離をはかりながら相手を受け入れられる範囲を探っていく途方もないコミュニケーション。
たとえばセックスで、たとえば会話で、たとえばチャットで。傷を癒そうとすることは時に傷をさらにひどくする。
それはハイトーンのモノクロ世界。色鮮やかでは決してないけれど、色褪せてなどいない。むしろ世界は薄明かるい。しかし時に色濃い影が差してくる。
それは思わぬ瞬間である。誰も傷つきたくて傷ついているわけではない。エミリー、カミーユ、ノラ、彼女たちはとても大胆なのに非常に繊細だ。
その細やかな描写、演技が、声や言葉に出さずとも彼女たちの空虚な痛みを伝えてくれる。彼女らは声を荒げることも、涙を出しつくすこともないのに、怒りも哀しみも内に抱えている。
だからパッと明るくカラーになる瞬間(まさにパッと明るく!)は何気ないと同時に、後になってとても重要な瞬間と出会いであったことに気付かされる。
傷つき、袋小路に陥っていた彼女らにまったく別の視点と関係が提示された時であるからだ。
ここは「パリ13区」。様々な人たちが行き交う都会。広くてとても狭い世界では友達の友達は友達かもしれない。もしかしたら恋人の恋人は恋人なのかもしれない。だがそんなものは表面上でわかる程度の関係だ。
だからこそ本作はとても運命的である。恋の(人生の)迷い道に入った彼女たちが、上辺を取り繕うのをやめて真摯に誰かに向き合えるようになるまでのピュアなラブストーリーだからだ。

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