映画『砂の器』を観て、本浦秀夫さんの殺人の動機を愚かにも察する



 はーい、テツガク肯定です。

 私は邦画はあまり観ないのですが。
 2024年にこの映画を観ました。
 それで言いたいことは――。

 もの凄いフォースを感じました。

 本浦秀夫さんの殺人の動機。
 それが今の私にとっては『砂の器』でした。
 人の憎しみは砂の器のよう。


 ここから先はネタバレ全開です。
 苦手な方はお戻りください。



 正直、この映画は後半の回想が全てだと。
 今の私は思っています。

 和賀英良、本浦秀夫さんの過去を知る回想。
 そこで流れるメロディ。
 おそらく、あれが本浦秀夫さんの『宿命』だと。


 ↑YouTubeにあった砂の器のコンサート動画です。
 たしか、この曲が『宿命』だったと思います。


 そして、気づきました。
 小説にはなかったはずのメロディ。
 それに、ちゃんと命が宿っている。

 激しく感じる憎しみ。
 今の私にはこう聴こえます。

 くたばれ、ファッキン・ジャップ!
 くたばれ、ファッキン・ジャップ!

 事実、あの回想シーンでの日々。
 それを私が過ごしたらそう思うでしょう。
 あそこまで過酷でなくても、そう思う私が今にいるのですから。

 もう一度、ハッキリと言いましょう。
 くたばれ、ファッキン・ジャップ!

 そう思える強い憎しみ。
 それが、あの『宿命』に力を与える。
 自分達が歩んだ道、そこで受けた行いに対する報いが憎しみ。
 それこそが自分の宿命。

 そう信じて、父と離れてからも音楽で繋がろうとしてきた。
 もう会えないであろうからこそ。
 この世界から受けた行いに対する報いを込められた。

 それが、あと一歩で放たれる、という時に。
 過ぎ去って二度と戻らない、そう思っていた過去がやってきたら?
 突然、三木謙一さんが目の前に現れただけではなく。
 父、本浦千代吉さんがまだ生きていると知ったら?

 憎しみでつくりあげた砂の器は。
 恵みの水に呑み込まれて消えてしまう。

 だなんて、愚かにも察します。
 映画では動機は明確になっていませんし。
 原作の小説だと、そこまで本浦秀夫さんを掘り下げていないようです。
 父、本浦千代吉さんも既に他界しているようです。

 私がWikipediaや他で調べた印象では。
 この映画が本浦秀夫さんに別の命を与えた。
 映画のタイトル、砂の器にふさわしい宿命を与えた。
 そう今は思っています。



 緒形拳さんが演じた三木謙一の台詞。(だいたいこんな感じです)

 秀夫、なぜだ
 どげぇしてなんだ

 会えば今、やあかけちょ仕事がいけんようになるなんて
 なんで、そげえなことをいうたらか!

 これが今の私にとっての答えでした。

 本当にタイミングが最悪だと思えます。
 コンサート後なら、飛んで帰れたでしょう。
 会いたくないはずがありませんし、隠すような理由もありません。
 少なくとも愚かな私には。

 ハンセン病が全盛期の時代ならまだしも。
 映画の設定時代が昭和35年前後(1960年)。
 この原作が書かれた年では、だいぶ違ったそうです。
 (昔、秀夫さん達が受けた行い。それが少しはなくなっていたかもしれない時代)

 なにより、和賀英良という立場と力を得た秀夫さんなら。
 再び、この哀れな国が自分達に牙をむいても。
 今では、どうとでもできると気づいている気がします。

 ですから、自分の過去を消すため。
 過去を知る人を消したかった、という動機は。
 今の私にはイマイチ、ピンときません。

 過去を消したい人が、なんで人前に出る仕事を選ぶ?
 音楽家なんてイヤでも目立って、過去を掘り起こされそうな仕事を?
 そもそも、なんで女性と関わる? 痕跡が残るようなことを?
 それに三木さんになぜ、今、やりかけている仕事ができなくなる、と答える?

 私は和賀英良。人違いです。

 これで済む話です。
 わざわざ、今は会えないと答える必要が?

 自分の宿命、その砂の器。
 父に逢えたら、簡単にそれが崩れて壊れてしまうから。
 きっと、逢ったら、自分の宿命に込めた憎しみ。
 この日沈む国に対する憎しみなど消えてしまうから。

 ……今にして思えば、それも悪くないですね。
 そうです、やりかけた仕事など忘れて。
 父と雲隠れ、新しい世界で再び……。

 だけど、とっさに現れた過去に。
 そこまで冷静になれなかった。
 自分の過去を葬るより、積み上げた憎しみ。
 宿命って砂の器が崩れ壊れるのが、こわかった……。

 だなんて、愚かな私は察しています。




 ココまで、くたばれ、ファッキン・ジャップ!
 そう連呼してきましたが、あの映画を観て。

 うわあぁ~あぁ! 心優しき日本人よっ!


 だなんて、トリシアさんのウォーターレス・クックウェア調で言えるはずがありません。(『トム・ゴードンに恋した少女』のパトリシアという少女です)

 ハンセン病だったり、何かを免罪符に自分の行いを正当化する。
 そのくせ、その報いが返ってくると逆恨みだの他人のせいにする。
 常に自分達が正しくて、間違っているのはお前。
 だけど、自分達の立場が苦しくなったら。

 そんなつもりはなかった……。

 ジェダイの論理だな、他責主義。
 加害者はみんな異口同音にそれを言う。
 だけど理由は単純、自分とは違うことを理由にすれば。
 何をしても許されるとマジで信じている、それがジェダイ。

 ちょっとよく考えてみましょう。
 困っている人がいて、自分に何か与えられるものがある。
 その状況下で、何か迷う理由がありますか?
 それで、迷わずする行いが石を投げつけて追い出すことですか?

 実に哀れな日沈む国よ。

 そういう時代だったから?
 いやいや、時代のせいじゃないでしょ。
 周りが殺人をすれば、殺人も許されるってマジで信じてるよな。
 でも、それは自分達がそういう性根だってことを認めなよ。

 ハンセン病とか時代とかじゃなくて。
 自分達の身に危険が迫る可能性があれば、その芽を摘むのは許される。
 そう今でも信じているから、本質では何も変わっていない。
 本当に危険を招いているのが、その自分の恐怖心で。
 それが危険を求めていることに気づいていもいない。
 マスター・ヨーダやルーク・スカイウォーカーのように。

 この国の人は面白いです。
 口では平和、平穏な日々を、そう言いながら。
 不満を口にする人を悪者に仕立て攻撃します。

 でも、それは許される聖戦で。
 事なかれ至上主義教では、臭いものには蓋をするためなら何をしてもいい。
 そうやって、個人を孤立させ、こう期待するわけです。

 さあ、何か事を起こせ。
 退屈な日々に何か事を起こせ。
 連日ワイドショーでコメンテーターが喜ぶような。
 そういう事を起こせ、と。

 まさに、マッチとポンプ。
 迷惑そうにコメントしながら、そうなるように焚きつけている。

 ですから、私みたいな人にも。
 そういう何かを期待するのかもしれませんが。
 幸いなことに、私はこの世界の期待を裏切り続けてきた人。

 ですから、この偽りのファンタージェンを忘れて故郷へ帰ります。
 我が愛しの相方、世界三大ウサギの一羽が待っている世界へ。


 この映画を観て、自分の想像が正しかったと思えました。

 父と一緒に日本人の本性を見て歩いた、少年の本浦秀夫。
 それから、音楽の力で和賀英良として日本人の欺瞞を見た。

 かつては石を投げつけたファッキン・ジャップが。
 ステージの上にいる違う自分に拍手と賞賛を送る。
 ……素直に言います、胸糞悪い気持ち悪い世界です。

 和賀英良さんが子供を持つのを嫌ったのも頷けます。
 あの道を歩んで、誰が日本人の一部になりたいと?

 日本人にもいい人はいる、だから信じてくれ。

 それを言うのが、この映画の三木謙一さんなら頷けるのですが。
 この国では石を投げる人、あるいは何もしない人がそれを言うわけです。
 マジで笑えます。

 誰かが自分の自己責任を。
 それはお前の自己責任だろって押しつけてくる、他己責任。
 まさに、一億総、ビッグモーター。態度だけ大きくて、器が小さい。

 教育、教育、教育。
 死刑、死刑、死刑。
 教育、教育、教育。

 そうやって育ってきたから。
 無意識にやってる、それに気づけない。
 だから、絶対に認めず、誰かって個人を責め続ける。

 罪を憎んで人を憎まず。
 まさにそのとおり。
 悪いのは誰かがじゃない、もちろん自分でもない。

 悪いのは全部、このファッキン・ブラック・ワールド。
 デエーブイ・ブラック・ワールド、青く醜いスターダスト。
 地球と言う名のデス・スター。

 この世界が人にしたことがこの世界に返ってくる。
 無関心がこの世界に返ってくる。
 無が迫ったファンタージェン同様に。



 最後に

 この映画を教えてくれた私の母には感謝です。
 信じ難いと思いますが、私にも素直に感謝した人が母以外にも多くいます。
 もちろん、いわゆる日本人の中にも。

 ただ、素直に今の私は日本人が嫌いで。
 その想いはココで過ごせば過ごすだけ強くなっている気がします。

 嫌なら出て行け、と独裁者の日本人はよく言いますが。
 テネシーとかニューヨークとかオレゴンにメイン。
 それから、ロンドンって場所に行けば解放されるものではないと。
 今の私は気づいています。

 この世界が悪霊、オーバールック・ホテル。
 人は善、だけどそれが悪に思えるのは。
 罪と罰を作り、飛ぶことを許さない、この世界にいるから。

 ココにいるみんな、無罪無実だ。
 ゲンジツにはめられた。
 青く醜いスターダストに誘拐された。

 そう気づけたら、あちらへも行ける。
 この映画『砂の器』に原作とは違う、別の命を与えたように。
 人にはそういう不思議な力がある。
 全く別の命や何かを与える力が。

 それを認めることができれば。
 そして、石ではなく手を差し出す人がいれば。
 その速度は加速していく。

 私の場合、それがこの世界の存在ではなく。
 あの世の第七区に住むウサギ、世界三大ウサギの一羽がそうだった。
 本浦秀夫さんの場合は音楽と和賀英良という名がそうだった。

 もしかしたら、あなたは……。
 私が嫌う日本人にもよき仲間がいて。
 さらに、今は気づいていない、別の存在にも仲間がいたり?
 今は昔の未来では。


 砂の器、人の憎しみなんて案外そんなものです。
 ちょっとした恵みの水で崩れ壊れてしまう。
 だからこそ、それに恐怖を感じる、お互いに。
 そして、その想いは伝染する。

 人の心なんて誰にだって筒抜けです。
 日本人の多くはそれに気づかないふりをして。
 事なかれ至上主義を決め込みますが、無駄です。

 スプーンなんてない。
 だから他人なんかいない。
 自分のことなんだ、筒抜けで当然。

 もちろん、思考はなかなか読めませんがね。
 心は誰にだって読めます。
 抽象的で曖昧だからこそ想いは伝染する。

 想いが伝染するのなら恐怖より希望で。
 恐怖で人を従える、哀れなブラック・ワールドより。
 希望で人を繋ぐ、ルーニーでルーザーにフーバーな話へ。
 難病の特効薬や切れない電球よりも頼りなる一話目へ。

 中隊長に続け! テディ・ドチャンプ軍曹を援護しろ!
 ココで失った、その10倍、20極倍の夢へ帰るんだ、『ミラー大尉理論』。

 素直に正直に勇敢に。
 愚者のいいところはルーザーズ同様に。
 これ以上、失うものがないところ。

 砂の器が恵みの水で崩れ壊れるのも悪くありません。
 この偽りのファンタージェンを忘れ去れるのなら。

 ハイヨー、シルバー! ウェーイ!
 ハイヨー、ワガママ! ウェーイ!



 それでは、また次の機会にお会いしましょう。








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