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#152 何気ない日常を幸せだと思う理由

さて、今日のテーマは「何気ない日常を幸せだと思う理由」です。

子供の夏休みも空けて、イベントの多い夏が過ぎていきます。

これから徐々に日も短くなって、涼しい日も出てくるでしょう(今年の秋は暑いらしいので注意)。

子供が夏休み中は毎週なにかしらのイベントがあり、予定が多かったので、今日は久々に家でゆっくりする日でした。

朝からキャンプ道具や家の片付けをし、残っていた買い物をしてました。

久々に子供と家でゆっくり過ごす日。

「何気ない日常」というやつです。

「いつもイベントだらけだった毎日も悪くないけど、こういう何気ない日常は幸せを感じるな」

と物思いに考えていました。

そんな僕の自己満足な思いを書いてみたいと思います。

お暇な方はよかったらお付き合いください。


自己紹介です


お題の話の前に、自己紹介します。

僕は、リハビリテーション病院で働く作業療法士兼、中堅管理職です。

日々のリハビリテーションの実践はもちろんですが、中堅管理職として管理と現場の間をつなぐ役割を担っています。 

このアカウントでは以下のことについてを書いていきます。

・病院での働き方
・日常生活での健康の考え方
・ストレスマネジメント
・作業療法のもろもろ
・相談を受けたこと
・臨床で考えたこと
・日々、感じたこと

これらのことについて、僕なりに解釈して記録として残していきたいと思います。

それでは本題に入っていきましょう。

何気ない日常は当たり前ではない


当たり前の毎日っていつまで続くんでしょうか。

今の世の中当たり前の日常ってないですから。

戦争、災害、犯罪、事故、病気、障害、老化

漢字2文字で表すのは簡単でも、不安すぎる世の中です。

明日の未来が分からないのはずっと続くんですが、その分からない確率が上がっているように感じるんですね。

お金はないし、将来も見えないし、本当にこのまま過ごしていていいのかふと不安な気持ちになります。

子供たちは未来に希望は持てないと聞きます。

なにが正解で間違っているかも今の時点で決めることはできません。

明日が分からない以上は、僕たちに正解の未来なんて存在しないからです。

こうやって不安な要素をあげればキリがないのが、僕たちの日常です。

こんな世の中に誰がしたんだ!と声を上げても、それは誰にも届かない。

それは誰か特定の人の責任でないこともみんなわかっているから。

どんな不安な要素も僕たちの予想しないところからやってきます。

そう考えていくと、冒頭に挙げた何気ない日常が当たり前にでないことは間違い無いでしょう。

だからこそ、何気ない日常に幸せを感じるのかもしれません。


自分が決める幸せ


何気ない日常は毎日当たり前のように過ぎていくけど、少し視点をずらせばそれは当たり前ではない。

そんな当たり前でない何気ない日常を過ごしている僕たちは、毎日をどのように見ているでしょうか。

楽しいと感じているか
生きていると感じているか
当たり前と感じているか
つらいと感じているか

この反応は人それぞれで、どのような見方も間違いではないです。

ただ、この日常をどのように捉えているかも、結局自分たちが決めたことです。

その日、その時、その瞬間をどう感じるかは私が決めたことです。

当たり前ではない何気ない日常を幸せだと感じたのは自分自身です。

この日常を「暇だ」「楽しくない」と感じることもできるということです。

この感じ方にはそれぞれの感性が大きく影響すると思います。

「なにを持って自分は幸せと感じたのか」

そう考えていくと、自分の幸せのありようが見えていきます。

どんな毎日も、自分の見方次第ですね。

毎日の日常を幸せだと感じれるかどうかは自分の価値判断次第です。

どんなに不安な世の中でも、自分が毎日目の前のことをどう感じるかを大事にすると少し明るく考えられるかもしれません。

そのためには自分を知ること。

「私はなにを大切にしているのか」
「私が幸せを感じるのはどういうときか」

自分の感性が見えてくると、幸せの形も前より捉えやすくなります。

あなたはどんな毎日が好きですか。
そんな毎日はどうやったら見つかりますか。

自分の感性と価値を振り返ると何か見えてくるかもしれません。

今日はそんなことを物思い考えた日でした。


頑張るあなたを応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
読んでいただいた方のヒントになれば幸いです。

よろしかったら、スキ&フォローをよろしくお願いします。

ではまた。


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