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小説探訪記01:深夜特急時代編

 今日もまたラフにまったりと語っていきたい。いろんな小説や随筆について。こんな記事を読んだところで何の得もない。お付き合いいただけると幸いだ。作家名は敬称略としたい。

沢木耕太郎・椎名誠・庄司薫

 中上健次や村上春樹、村上龍はよく読んできたのに、沢木耕太郎や椎名誠、庄司薫はあまり読んでこなかった。これはなにかアンバランスではないか。最近になって、そう感じ始めた。

 特に沢木耕太郎『深夜特急』シリーズは、今まで読んでこなかったことを後悔した。外に開かれた感覚、爽やかな作家性を感じたからだ。中上健次や村上春樹、村上龍とは異なった視点を得られた気がする。そこに新鮮さを感じた。

 中上健次や村上春樹を読んでいると、どうしても思考が内向きになってしまう。中上健次の小説は、主に紀州をテーマにしたものが多く、日本に閉じてしまう。また、村上春樹は個人の精神を深堀りしていく小説を書くので、これも精神が内側に向いてしまう。

 椎名誠や庄司薫はまだそこまで読んでいないので、言及できることは少ない。しかし、政治の季節が終わった後の昭和世代を知るには、重要な小説家であるように思う。

伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』

 本作は大江健三郎『同時代ゲーム』からインスピレーションを受けていることが明らかにされている。

 終わった戦争の歴史を語る猫。猫の世界に迷い込んだ人間。巨木によって囲まれた小国。曖昧な歴史が掘り返されていく展開。ファンタジー小説でありながら、現実と同程度に過酷な世界が描かれている。

 難解で読みづらい『同時代ゲーム』が、これほどポップにできてしまうのか。そんな驚きも感じた。そういう点でも巧い作品である。

 さて、興味深いのはこの小説の書き出しだ。

 欠伸あくびが出る。人間からすれば、欠伸は長閑のどかで太平楽な気分の象徴らしく、僕たちがそれをするたびに、「のんきでうらやましい」と皮肉めいた言葉を投げかけてくる。言いがかりだ。

伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』創元推理文庫p.7

「みんな欠伸をしていた。」という一行から始まる三島由紀夫『鏡子の家』のアンサーになっているように見える。

 欠伸が出ているからといって、気楽な心境とは限らない。警戒態勢だからといって、欠伸が出ないとは限らない。戦後生まれだからといって、レジャーの快楽に甘んじているとは限らない。そう反論したがっているように映るのだ。

ミリタリー・自衛隊と小説・ライトノベル

 ミリタリーや自衛隊に関しては門外漢なので、うかつなことは言えない。しかし、現代の小説・ライトノベルと軍事、保守層の動向を関連付けて考察してみるのも重要そうである。(実際、多くの批評家やライターが試みていることかもしれない。)

 この点で興味深いのは有川浩である。自衛隊三部作に『図書館戦争』。これらの作品を詳細に読み込んでみれば、日本人読者の自衛隊観を透かし見ることができるかもしれない。

 また、柳内たくみ『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』も重要だろう。とはいえ、ミリタリーもライトノベルも専門外である。ここまでは手が回らないのが苦しいところだ。

紀州と熊本と出雲

 紀州は小説に恵まれているように思う。江戸川乱歩『パノラマ島奇譚』『孤島の鬼』、有吉佐和子『紀ノ川』、中上健次『岬』『枯木灘』などの小説群。ほかにも紀州を舞台とした小説は数多い。

 熊本県も近代小説の舞台として選ばれているように思う。森鷗外『阿部一族』、夏目漱石『草枕』、三島由紀夫『奔馬』、村上春樹『騎士団長殺し』など。

 一方で、歴史や伝統がありながら、近現代の小説の舞台として選ばれてこなかったように思うのが、出雲だ。あるいは、中国地方全体が小説に乏しいと考えても良いのかもしれない。(歴史や伝統の長さを鑑みて。)この点は私の知識が乏しいだけかもしれないが……。

 記事はここまでとしたい。現代小説も読めるようになってきたのは、個人的に嬉しいところだ。

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