記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『花束みたいな恋をした』感想。 花束みたいな恋って何?とか色々考える。



冒頭から続く2人のサブカル趣味の強調に対する違和感


この映画は簡単に言うと大学生の麦と絹が恋愛する話なのだが、この2人はかなりサブカルがすきで(本、映画、カメラ、音楽、バンド、漫才)それをきっかけに仲良くなるのだが、映画の半分くらいまでずっとそういう会話をしていてかなりしつこい。


例えば初めて絹が麦の家に行った時に本棚の前で意味ありげに笑い、「うちの本棚とほぼ同じじゃないですか!」と言うシーンがある。
さらに絹は麦が『電車に乗っている』ことを『電車に揺られていた』と表現したことに意味を感じときめいていたりする。


サブカル趣味つながりで付き合う20代前半カップルの見本みたいだ。

例えば本棚のシーンはサブカルに傾倒してる人に人気な本が並んでいるだけだと思う。こういう事を運命だと思い込む人達、特に20代前半にいっぱいいるよなと思いながらみていた。


気になったのは上記の本棚と電車に関する2つのシーンは印象的になるように作られていて、ほかのシーンも言葉や同じもののカットを繰り返したりするシーンが多いことだ。

もしも視聴者を感動させたりときめかせたかったら、リピートしてその感動を薄れさせる必要は無いように思える。

衣装や髪型がかなりカジュアル寄りになっている(靴もかなり汚れている)ことからも、視聴者に麦と絹の2人の恋愛を必要以上に高尚なものにみせたい訳ではないのかなと思った。どちらかと言えば等身大寄りに演出したいようにみえた。


セリフでも、押井守のことを絹が「広く一般常識であるべきです!」と言ったりモノローグで麦が「その日は昼から餃子を食べ、ビールを飲むという悪行を働いていた。」と言ったりそういうインターネットにありがちなサブカル界隈特有の雰囲気が伝わってくる。



絹役の有村架純と、麦役の菅田将暉は演技が上手い。だからこそ行動や言動がリアルで見ていて恥ずかしい場面も多かった。もしかしたら若さ特有のイタイ感じを描いてるのかもしれない。




嘘みたいに趣味が合ったから付き合った。そのうち趣味が合わなくなった。


2人は内見をして、駅から徒歩30分の家に同棲する(ベランダが広くて窓から川が見えとても眺めが良かったからです やっぱりちょっと描き方おかしくないか?)。
麦のモノローグに「大学を卒業して、僕達はフリーターになった」とある風に、あまり計画的なタイプではないらしい。しかしとても楽しそうにしている。

そんな最中唐突に発覚するのだが、そもそも2人の生活は麦の親からの仕送りありきで成り立っていた。
同棲して約1年の頃、麦の親からの仕送りが止まると決まる。

生活のためにいよいよ2人の就職の話が出たとき、絹は「このままずっとこういう暮らしが続くと思ってた」と言い、結婚については「考えたこと無かった」と言う。しかしとても楽しそうに暮らしている。


仕送りが止まったので2人は就職するが、麦は忙しい企業に勤めてかなり精神的に追い詰められる。
絹は忙しい麦が自分の趣味を捨ててしまったようで不満だ。
この辺から楽しくなさそうになる。
サブカル臭いシーンもなくなる。


絹は趣味を活かせる仕事への転職を麦に相談無しで決める。
麦は仕事を舐めるなと怒った。それをきっかけに同棲4年目。出会って5年目。別れる。


2人とも喧嘩したりすれ違ったら、自分の意見を話そうとしたりするけど結局タイミングが合わなくてだるくなってやめたりする。そしてどんどんすれ違っていく。


まあよくある。
自分と重ねられるあるあるシーンは多々あるので、共感して感情移入しやすくなってくる。
前半のサブカル感が強すぎたのももしかしたら後半にかけて一気に感情移入させてその意外性や落差を楽しませるためかもしれない。


2人の友人に対する発言に「もう相手に対する感情が無なんだよね…」みたいなのがある。
要するに飽きたんだろう。


最初は絹が麦に髪を乾かしてもらって心臓が高鳴ったり路上でキスしてやめたのに、すぐに2回目のキスをするシーンがある(路上でがっつりキス いやだなー)。ずっとそんな感じで進んでいけて最初の熱が持続していれば絹も共通の趣味がなくなってしまった麦とやっていけたかもしれない。


2人は友人の結婚式が終わったら別れ話をする!とお互い決意する(さらにそれを式中にほかの友人に話している 縁起悪いし反応に困るからやめて)
2人は二次会に行く途中の招待客の列から無断で離れていく(せめてなんか言ってから離れよう)
最後に向かったのは思い出のファミレスだった(ファミレスで別れ話 いやすぎる)

麦は「恋愛感情がなくても家族なら」と言い結婚しようと言う。絹も一瞬それを受け入れようとするが、その時2人の思い出のテーブルにあの時の2人と似た学生が入ってくる。あの時の2人と同じような会話をしている。
2人はかなりの間学生の会話を聞いている(なんで? いやだなー)
麦は俯き、絹は泣いてしまう(だからファミレスで別れ話しなければ良かったのに…)


絹は結局、麦やふたりの関係の変化を受け入れられず別れることを選んだのだろう。



別れのシーンがあまり悲しくない。


私の趣味的にも、この映画の演出的にも2人の1番仲良しだった時にすら憧れが生まれないので、別れてもバッドエンドだと感じられない。
どうせ上手くいかないことが序盤からひしひしと伝わってくることもあり、どうせ別れるなら早く別れて次に行こう!と思いながら観ていて、別れた時はハッピーエンドだとすら思った。



この別れのシーンで泣いている人が周りにいたら、きっと自分の体験と重ねてその別れを思い出して泣いているのだろう。
しかし映画の前半で2人に憧れているかのような表情の人がいたらそれはきっとサブカルが好きな人なのだ。または分身のような相手が見つかることに憧れを抱いているのかも。もしくはすぐに運命だと思い込む恋愛体質なタイプかもしれない。

(恋人でなく友だちにするのはだめなのかな。趣味だけで繋がって趣味が変わったら終わってしまうので交際相手にするにはリスクが高すぎる。今書いてて気づいたけど、2人とも相手の性格や見た目に惹かれている描写がほぼ皆無だった気がする。共通のカルチャーを選択するセンスだけに惹かれていたのかも。)


絹に共感する人は変化を受け入れられない理想主義者かもしれない。麦に共感する人は現実主義者かもしれない。

わたしは麦が正しい寄りの意見になってしまうけれど、どちらが偉いとは一概には言えない。
あと2人とも自分の意見を押し付けている場面が多々あるので、お互い様だと思う。


結局は自己判断で、根本の価値観が合わない人とは付き合わないようにするのが1番だと思う。
この映画を気になる人とみて感想を言うと、そういう仕分けにも使えるかもしれない…。


2人の新しい恋人。花束みたいな恋って何だったの?

そしてカルチャーの選択のセンスの価値観よりも、優先して気にすべき価値観がたくさんあるのではないだろうか。


2人は別れたあと(これがどれくらいあとかは不明)それぞれ別の人と付き合っている。

短いシーンだが、それぞれの新しい相手は見た目も普通で話の内容も他愛もないものである。
2人は相変わらず音楽についてこだわりがかなりある(カフェでイヤフォンを2人で使う見ず知らずのカップルに説教をしようとして席を立ち上がる描写がある)ままで、それぞれの交際相手はカルチャーのセンス以外で選んだという感じがした。
学生時代から始まった恋愛を経て、2人は学習し成長したということなのだろう。


絹が恋愛の始まりは終わりの始まりと言っていたが、つまりはいつか別れると感じつつ付き合っていたということだ。ある意味2人の年齢に合った恋愛なのかもしれない。


花束がいくら美しくて生命力に溢れていても、切り花である以上いずれは枯れてしまう。
いつかは終わるモラトリアム時代の少し歪で楽しかった恋愛を上手く描いた作品だなと思った。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?