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【京都】琵琶湖疏水④ 哲学の道でキジトラと一期一会の出会い。信じるとはニャニか?

琵琶湖疏水を歩くシリーズ4回目。今回は哲学の道である。熊野若王子神社のあたりから銀閣寺の方まで続く約2kmの道だ。哲学者で京都大学教授の西田幾多郎氏(1870~1945)が、この道を歩きながら思索に耽っておられたことが名の由来だという。凡人ゆえに悩みが尽きない私でも、歩くと何かの答えが見つかるだろうか。期待を胸に東天王町のバス停から歩き始めた。

熊野若王子神社は、京都三熊野のひとつである。残りのふたつは、新熊野神社、熊野神社。いずれも後白河法皇ゆかりの、歴史ある神社だ。背後の山に同志社英学校(同志社大学の前身)の創立者、新島襄のお墓がある。神社の下にある若王子橋から歩き始めた。

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京都三熊野のひとつ、熊野若王子神社
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若王子橋から哲学の道を歩く

少し歩き始めて、はたと立ち止まった。公園に黒猫が座り、こちらを見つめている。「君、だれ?」と問いかけているようだ。

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じっと、こちらを見つめる黒猫

実は、哲学の道は「猫の道」としても知られている。哲学の道の南あたりに、よく猫が集まっている。地域の方たちがお世話をされていて、その印に耳が桜の花びら型にカットされている。

木製のベンチでは、キジトラ猫がゆったりと休んでいた。スマホで写真を撮ると、こちらに歩いてきた。まるまると肥え、福々しい姿である。毛皮は少しほこりっぽいが、つやつやしている。キジトラは私に話しかけた。「どこから来たん?」

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休憩中のベンチから降り、こちらにやってくるキジトラ
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耳が桜の花びら型にカットされている

猫が喋る? んなアホな! 妄想が過ぎる! という方もいらっしゃるだろう。しかし、猫を飼っている方はご存じだと思う。彼らは少なくとも人間の言葉を理解する。それだけではなく、お喋り好きな猫もいるのである。人間の耳には「ニャオ」としか聞こえないけれど。

キジトラは地域の方にお世話されていることもあり、お喋り好きな猫のようだった。私も2匹の飼い猫に鍛えられ、猫語をある程度理解できる。人と猫が一緒に暮らしていると、人は次第に猫に近づき、猫は人に近づいてくる。

「えーと、このまちの者ではありません」と私は答えた。

キジトラ「何か、悩みあるんとちゃう?」

私「わかりますか」

キジトラ「話してみいな、聞くで」(私の足におでこをこすりつける)

私「やりたいことがあるんですけど、自分が信じられなくて。どうせ失敗すると思うと、足がすくんじゃって。自分を信じるって難しいですね。何だか他人のことも信じられないし」

キジトラ「信じるとは、これや」
彼は突然ごろんと寝転がり、おなかを見せた。
私はキジトラののどをさすり、額をかき、首の後ろと脇の下をマッサージした。

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気持ちよさそうに目を細めるキジトラ

キジトラは目を細め、ぐふう、ぐふうと嬉しそうだ。マッサージすること10数分。あたりに人はいない。すごく長い時間に感じた。

私「そろそろ行きますね。雨も降ってきましたよ」

キジトラ「信じることは、自分を信じることも、他人を信じることも難しい。あまり長く立ち止まらず、自分が信じた道を前に進むことや。たとえ最初に目指した所と違っても、いつかは目的地に着くやろ?」

私「ありがとうございます」

キジトラはくるりと後ろを向くと、もう喋らなくなった。

歩き出すと雨が強く降り始め、私は傘を開いた。
キジトラを思い、少し切なかった。

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大豊神社には、飼い主と散歩中の犬の姿があった
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疏水沿いに桜の老木が連なる
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石碑に「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾は行なり」と刻まれている







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