キシダサトコ

1965年生まれ。旧東京デザイナー学院名古屋校中退。デザイナーを1年やって21歳からイ…

キシダサトコ

1965年生まれ。旧東京デザイナー学院名古屋校中退。デザイナーを1年やって21歳からイラストレーターとして活動。主に広告・書籍のイラストを執筆。40代でノウイングの三日間集中講座に参加。自己覚知。その後アカシック基礎講座に参加。

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  • テクテクマイニチ

    57歳一人暮らしのなんてことない日常のときどき日記。

  • 意識の世界から観る世界

    私の自己探求こぼれ話。意識が拡大した時のマジかよ体験談とか、失敗談とかあれやこれや。あれこれやってもなお、タバコを吸いコーヒーを飲みまくり、線維筋痛症の痛みに悶絶しながらろくに働かず、金がないと親の脛をかじり、それでも呑気に生きてる57歳。

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最近の記事

その感覚の名前がまだない

意識の話をする時に、どうしても曖昧な表現になることがある。それは禅問答に似ていて「あるけどない」みたいなものなのだ。この感覚自体は意識が5次元以上にあるときは合点がいくのだけど、3〜4次元では難しく感じる。 いわゆる”二次元人は3次元を理解しがたい”と言われているやつと同じだ。でも例えば次元を一つ落としても説明できるっちゃできる。二次元で三次元を理解する手法としては、例えば遠近法を使うとか陰影をつけるとか、あるいは展開図で考えるとかだ。もしくは動きをつけてアニメーションにす

    • 物理を学びたい

      自己覚知のときに「物質ってなんて面白いんだろう!」と思ってから物理の世界を遠巻きに覗くみたいなことをしていて、でも数学は苦手だし、理論だけでもわかればと思っていたのだけど、やっぱりもう少しでもいいから深く納得したいし、ちゃんと勉強はじめよかなと……。 数学は高校で挫折してそれっきり……。 ずっと物理の海を海岸で見ているようなものだったけど、いや、写真で見てるに近いかもしれない。砂浜まで行ってみて、浅瀬でバシャバシャでもいいから、その海に触れてみたい。数式の美しさに震えてみ

      • 1日が24時間という違和感

        私は、一般的に理想とされる24時間サイクルの生活リズムがない。 朝起きて、朝ごはんを食べて仕事や学校へ行って、お昼ご飯を食べて、仕事や部活をして家に帰って晩御飯を食べて、テレビを見たりネットやゲームで遊んで風呂に入って寝る。これができない。ある睡眠研究科が、若者は夜型になりやすく歳をとると朝方になりやすいと言っていたが、もうすぐ60になろうとしている私はそのどちらでもない。 人の体内時計は25時間周期だと言った研究があった。日の光の入らない洞窟で時計なしで生活したら、どんど

        • 死ぬことを考えた話

          ハッとした。 「どうやって死のうかな」って考えてたのだ。 正直驚いた。まるで晩御飯なににしよっかなのノリでそう考えていたのだ。 タバコが切れたのだ。そして財布にお金が入ってない。働いてないのでそりゃ収入もない。こういうときはとりあえず母にお金の無心に行くのだけど、それをとても億劫に感じた。まぁでも覚悟を決めて母にお願いしに行ったのだ。 どれだけいるのかと聞かれて、そんなの青天井だわさと思いながら、どれだけ……かぁ……どれだけいるかなぁと考えていたら、なんかもうめんどくさい

        その感覚の名前がまだない

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        記事

          母(もうすぐ90)の発達障害

          私はカサンドラ症候群だったんだなぁと思う。相手は旦那ではなく母だけど。 母がそこそこ重度の発達障害なんだろうなと思ったのは結構前だ。その頃はアスペルガー症候群などと呼ばれていた。今は情報も増えたし整理もされて、そういった精神科系の動画解説を見ると、ああ、そうそう、そうなのよねー、などと思っている。 自他の境界が曖昧で、共感力に乏しく、自分の感情には敏感だが他者の感情には鈍感だ。おそらく他のカサンドラの方とかもそうだと思うのだけど、何が一番大変だったかといえば「言葉が通じな

          母(もうすぐ90)の発達障害

          きてるなーと思った話

          Youtubeをよく見ていて、あ、この方意識の拡大を体験されたなという発言をちょくちょく聞く。それはスピリチュアルをやってる人ではない人で。 もちろん歴史の中でも、哲学者や物理学者や数学者や宗教家の人たちが、そこに触れていた痕跡を見ることはあるのだけど、そこまで突き詰めていてもいなくても、今やそこに触れる人は本当に多くなってきてるのだと思う。いや、私が知らなかっただけで、世の中にはこれまでもそういうことは結構あったのかもしれない。 どちらにしてもだ、そういう体験を人々はして

          きてるなーと思った話

          結論 何も間違ってない

          最終的にわかること、ジタバタした挙句に行き着く感想は必ずこれになる。 なんだ、何も間違ってなかったわ。 言い換えると何も解決してない。それでよかったんじゃん、というところに落ち着く。そこには安堵感や全肯定がある。拍子抜け勘もあって、ちょっと笑えたりする。菩薩像や宗教的絵画にある上位存在が微笑しがちなのはそのせいだ。 子供の悪戯や失敗にくすっとなるとき、嫌な上司だと思ってた人の背景や思いを知った後のその人の行動にくすっとなるとき、長く連れ添った伴侶が亡くなって昔を思い出し

          結論 何も間違ってない

          つれづれ ここ最近の意識作業「正義の鉄槌」

          私の友人に陰謀論推しの方がいる。 もともと私は陰謀論が嫌いだ。もっと言えば被害者であることを声高に叫んで、自分こそが正義だと主張し、相手を非難することが嫌いだ。った。 元を辿れば母だ。母は父の悪口をよく言っていたし、私はその母の思想にすっかり洗脳されていて、父は思いやりのない悪い人だと思っていた。二十歳を過ぎた頃、ん?おや?父は本当に母が言うような人だろうか、と思った。つぶさに見れば、なんだか違う気がする。ちゃんと思いやりもあるし、優しくて可愛い人だ。確かに賭け事が好きでなお

          つれづれ ここ最近の意識作業「正義の鉄槌」

          ジャッジと善悪

          これはいちばん代表的な二極かと思う。天使と悪魔、正義と悪といった普遍の物語というか。これは時に命を脅かすものとしての肉体意識の警報とあいまって勢いよくぐるぐるとまわる。これは要するに、その危険を排除しないと安心できない!というものだ。 虐待、いじめ、誹謗中傷、性犯罪、汚職、ブラック企業、戦争、革命、征服、報復などといった歴史を持つ。こういった争いに疲弊しながら、それらが終わることを切に願い平和な世界を夢見てきた。人類の悲願とも言える。 この「悪」という領域をいかに解放・統合

          ジャッジと善悪

          魂意識

          最終目的地点である愛について触れておこう まず、愛は感情ではない。感情面での愛は愛情という。ここで言う愛は、言葉にするならallとか全てとか、そういった感じのものだ。all in oneをイメージして欲しい。世の中にある全てのもの、全ての感情、全ての現象、全ての物質、全ての歴史、とにかくありとあらゆる全部をぶち込んだ、それ、である。それを愛という。 ジャッジとか感情を手放せと言われるのは、要するに分別して入れないものを作るなということでもある。とにかく全部入れる。というか

          現実という奇跡のホログラム

          スピチュアルで解放とか統合とかしていくときに、押さえておきたいポイントをいくつか紹介しとこうと思う。現実という世界は没入感が半端ないので、どうしてもそれがホログラムだということを忘れがちになる。ホログラムのくせにやたらとリアルなのだ。これが作り物だなんて通常の意識で検知できるはずもない。それは理屈や概念で理解できるものではなく、その意識領域で見ればわかるが見ないとわからないという世界なのだ。だがしかし、見てないと思う人は理屈や概念から入るしかないとも思う。 まぁ、実際には見て

          現実という奇跡のホログラム

          本当は断るのに理由はいらない

          先日友達3人でおしゃべりしてて、その時に言われたことを私は気にしていた。 ああ、明らかにサバイバル意識の強い関与があるなぁと思いつつも、もうそのことはいいんだよとも思っていた。 もうそのことはいいんだよと思っているのに、脳内で繰り返される彼女のアドバイスと、それに繰り返し反論し説得しようとする意識がある。これを数日やっていた。本当にもういいと思っているなら、こんなに繰り返し問答をするのはおかしい。自分の中で反芻する意識を数日眺めていた。 間違いなくサバイバル意識だよなぁと

          本当は断るのに理由はいらない

          [考察]白馬の王子様は迎えにくるのか

          少女漫画でお馴染みの白馬の王子様、抽象化を広げると陰謀論や聖書、弥勒思想にも繋がると思うのだ。ここにあるキーワードは「いつか」なのだが、この「いつか」は果たしていつなのだろうか、あるいはやってくるのか、だ。 少女たちは毎晩イメトレしてるだろうし、陰謀論者もいつか善良な宇宙人が地球を救いにくると思っている。神を信じていればいつか楽園に住むことになると信じるエホバの信者、遠い未来に人類を救う弥勒が降臨すると手を合わせる仏教徒。 おそらくここにあるのは「いつか救われる」だと思う

          [考察]白馬の王子様は迎えにくるのか

          祖母のノート

          ふと、祖母のノートを思い出した。 祖母は口数の少ない人だった。一緒に住んでいたけどあまり関わりがなく、「優しかったおばあちゃん」といった記憶がない。今ではあまり見かけなくなった腰の曲がった昭和のおばあちゃんだった。 祖母はいちねんせいが使うあのマス目の国語ノートに、ひらがなを書いていた。のびのびとした綺麗なひらがなだった。それを思い出したのだ。 祖母は文字を習う機会がなかったのかもしれない。明治生まれの彼女は農家に生まれ幼い頃から働き手だったのだろう。廃校となった小学校の

          祖母のノート

          ま、どうでもいっかってなる毎日

          視点をどこに置いているか、というのを意識している。 例えば、大中小という大きさの意識のどこか、ということだ。 ある視点でわからないことも別に視点だと腑に落ちたりする。 また小さい意識で言うことと中の意識でいうことが真逆だったりするので、気をつけないと話に全く一貫性がなくなってしまうのだ。それをさらに大の意識だとそんなこともどうでもいっかーーってなるので、話は全く進まない。 小の視点だと輪廻はあるよね、だってその情報があるのだもの。 これが中の視点だと時間がそもそもなくなる

          ま、どうでもいっかってなる毎日

          I am

          なんというか、 おそらく その時というのは、何も持っていないのだ。 その 何も持っていない状態というのは、 実はすべてを持っているとも言えて、 だからこそ、 永遠と瞬間を同時に見るのだと思う。 そして 次元上昇するのだ。 11を超え、 22を超え、 33に至るのだ。 全く同じで、全く違う世界を見る。 私はその時、何を思うのだろう。