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現実という奇跡のホログラム

スピチュアルで解放とか統合とかしていくときに、押さえておきたいポイントをいくつか紹介しとこうと思う。現実という世界は没入感が半端ないので、どうしてもそれがホログラムだということを忘れがちになる。ホログラムのくせにやたらとリアルなのだ。これが作り物だなんて通常の意識で検知できるはずもない。それは理屈や概念で理解できるものではなく、その意識領域で見ればわかるが見ないとわからないという世界なのだ。だがしかし、見てないと思う人は理屈や概念から入るしかないとも思う。
まぁ、実際には見てるし知ってる、でも忘却の彼方にあるってだけなんだけど。なので知らなくても見てなくても自分はちゃんと知ってるって思い込めたら最強。思い込めなくても「どうやらそうらしい」くらいに信じられるといいかなと思う。物理の世界でも実感はないがどうやらそうらしいくらいになってるので、理系の人は信じるしかないはずだ。

ちなみに、その意識領域に行くと量子が見える。世界がキラキラして見えるというのはそのせいだ。物理学で量子分野を専攻している人なら、腑に落ちにくい量子の世界がすんなり感覚的に納得できるし、専門的な質問ができるし、的確な答えが得られる。そうなれば統合理論が完成してノーベル賞間違いなしだ。
全然専門でもない私でさえ、ああ、重力って空間の歪みだよなぁとか、これのことをダークマターって言ってるのかなとか、特異点を質量も大きさもない点だとすれば、そりゃ無限大になっちゃうよな、だって実際無限だしとか、ああ、それで繰り込みっていうパターンの切り取りをするのかくらいまではわかる。弦の振動が5種類あるのはたぶん幾何学の正多角形が5種類あるのと繋がりがあって多胞体から攻めるってのもありだよなと思ったりしている。

意図=結果

現実化とは何かと言えばこれに尽きる。意図と結果はイコールだということ。
これは1=1くらいのシンプルさだ。そしてこれは未来にあるのではなく、この瞬間がそうだということを、しつこいくらいに念頭に置いておこう。

ー意図とは何を指しているかー

意図するというと、とても意識的にしっかりと何かしらの方向性を定めることだと思いがちだ。ちょっと言葉を変えてみよう。意図するとは「こうだと思っていること」ともいえる。もう少し理性的に言うならば「認識していること」といえる。それをなぜ意図というのかと言えば、うっかり無意識にとてもしっかり方向性を定めているからだ。ところが顕在意識では意図しているという自覚がない。

望んでいることというのも間違いではないが、正確でもない。どの意識状態に視点を置くかでニュアンスが異なってくるのだが、肉体意識の状態というところに視点を置くならば、望みは無意識に思っていることを打ち消そうとするものも混ざっている。例えば「金が欲しい」という望みは、しばしば「金がない」という無意識の意図が反映されたりしている。認識という言葉ならそれほどズレない。

ー結果とは何を指しているかー

結果というのは現実という世界のことだ。現実というのはあまりにリアルで、この結果であるというのを忘れがちになる。自分と向き合うときだけでも、しっかりこの視点に立ち戻ろう。意識は潜在意識の膨大な情報から無意識に意図して現実という結果を瞬時に映し出している。見るもの聞くもの、五感で認識している全ては、意識が投影された結果だということをお忘れなく。

ー意図=結果とはー

認識と現実は一致しているということだ。
難しいことではない。例えば職場に嫌いな上司がいるとしよう。

職場に嫌いな上司がいると認識している(意図)
=職場に嫌いな上司がいる(結果)

当たり前すぎてだからなんだという話だ。いや、職場に嫌いな上司がいるからそう思うのであって、いなければそうは思わないと思うだろうか。要するにそこには順番があって、まず嫌いな上司がいてそれを見たからそう思うのだ、当たり前じゃないか。嫌いな上司がいるのは結果じゃなくて因果で言うところの原因だ。
では意図と結果を逆にしてみようか。

職場に嫌いな上司がいると認識している(結果)
=職場に嫌いな上司がいる(意図)

そうですねと言う話だ。入れ替えたところでイコールなのでなんら問題ない。1=1ならば1=1だ。「僕は人間だ(A=B)」は「人間は僕だ(B=A)」にならないじゃないかというご意見もあるかと思う。しかしここで言っているのは認識のことだ。「僕は自分を人間だと認識している」=「僕は人間だ」である。

注意したいのは「=」だということだ。
要するにスピリチュアルにおいて現実を観察するとき、因果は持ち込むなと言うこと。こうなっている原因は何で、何を解決しなければならないかということは、脇置いておいたほうがいいだろう。
「解決しなければいけない問題があると認識している」=「解決しなければいけない問題がある」と言った具合に、現実において解決しなければいけない問題としてあり続けることになる。そして解決したい!という衝動にも駆られるだろう。しかし「問題→解決」「問題→解決」「問題→解決」という達成感のある楽しいループから抜けようと思うなら、解決するのではなく観察することに意識を向けよう。

解決しようとすることが悪いと言うのではない。問題解決はこれまでもこれからも、環境を居心地良くするために役立つものだ。でも、さぁ意識の探索をしようという時には、そっと脇に置いておこう。俯瞰する視点を持つことが鍵になる。


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