ま、どうでもいっかってなる毎日
視点をどこに置いているか、というのを意識している。
例えば、大中小という大きさの意識のどこか、ということだ。
ある視点でわからないことも別に視点だと腑に落ちたりする。
また小さい意識で言うことと中の意識でいうことが真逆だったりするので、気をつけないと話に全く一貫性がなくなってしまうのだ。それをさらに大の意識だとそんなこともどうでもいっかーーってなるので、話は全く進まない。
小の視点だと輪廻はあるよね、だってその情報があるのだもの。
これが中の視点だと時間がそもそもなくなるので、輪廻という概念は確かにあるけども、それさえ今この瞬間に持っているだけで、私というものを形作る意識のかけらでしかなくなるし、どうにでもできるものになる。
大の視点になればそれは砂漠の砂の一粒となり、大きな流れの可能性の一要素であるにすぎなくなって、もはやただあるというどうするもこうするもないというものになる。
そのさらに上もあると思うのだけど、今私が掴めるのはそのくらいまでだ。
多次元宇宙あたりで、可能性だけがやたらとあって、つまらないっちゃつまらい。
ただこの肉体に戻った時、ああ、私は記憶にある懐かしい今の奇跡の瞬間を目の当たりにしているのだという、なんとも言えない感じになる。
ま、それもすぐに薄らいで、体痛ったああああってなるんだけどね。
そんななんで、記事書かずに終わっちゃうわ、という日々。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?