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祖母のノート

ふと、祖母のノートを思い出した。
祖母は口数の少ない人だった。一緒に住んでいたけどあまり関わりがなく、「優しかったおばあちゃん」といった記憶がない。今ではあまり見かけなくなった腰の曲がった昭和のおばあちゃんだった。

祖母はいちねんせいが使うあのマス目の国語ノートに、ひらがなを書いていた。のびのびとした綺麗なひらがなだった。それを思い出したのだ。

祖母は文字を習う機会がなかったのかもしれない。明治生まれの彼女は農家に生まれ幼い頃から働き手だったのだろう。廃校となった小学校の名簿の最初の卒業生として名を連ねているが、小学校ができたのは祖母が6年生の秋だった。卒業までの半年間、果たして祖母は何回小学校へ通わせてもらえたのだろうか。

たぶん、

祖母は字が書けなかった。算数も教えてもらったかどうか怪しい。

年頃になって祖父と結婚したが、恋愛の末の結婚ではなかった。農家から商売屋に嫁いだ字の書けない彼女はどれだけたいへんだったろうか。4人の子供を産んだが、長男は戦死して遺体さえ戻らなかった。名古屋の名の知れた企業で働いていたと聞くその長男を、誇らしく思っていただろうに。あまり感情を見せる人ではなかったが、戦死の知らせは彼女の心を大きくえぐっただろう。

次男の父が跡取りとなって母と見合い結婚をした。名古屋生まれの母は語尾がきつく、私たち兄弟でさえ母はいつも怒っているという印象があるくらいなのだから、祖母も当然いつも不機嫌で気の強い嫁だと思っていただろう。自分と違って普通に文字も計算もできる母に、引け目を感じていたかもしれない。

祖母が文字を練習し始めたのは隠居してからだ。あいうえおやいろは、自分の名前を綴っていた。その歳になってやっと、文字を練習したのだ。その文字は、祖母の勉強ができることへの喜びが溢れていたように感じる。

おばあちゃん、
頑張ったんだね。

思い出の中の小さな祖母をハグした。

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